トップQs
タイムライン
チャット
視点
金彦任重
韓国出身の野球選手 (1936 - 2023) ウィキペディアから
Remove ads
金彦 任重(かねひこ たかしげ、韓国名:김영덕、金 永徳(キム・ヨンドク)、1936年[1]1月27日 - 2023年1月21日)は、在日韓国人のプロ野球選手(投手、右投右打)[2][3]。
![]() |
現役時代は南海ホークスでプレーした。大韓民国に帰国後は、大韓民国のアマチュア野球球団やKBOリーグの球団で監督を務めた。
Remove ads
略歴
1936年1月27日、京都府に生まれる。
神奈川県の逗子開成高等学校を経て、1956年に南海ホークスに入団[2][3]。背番号は1[4]。
プロ4年目の1959年に1軍デビューし6勝を挙げ、1963年まで通算67試合(158.2回)に登板した。通算成績は7勝9敗、防御率3.57[2]。
1964年に大韓民国に帰国し、実業野球の大韓海運公社、クラウンビール、韓一銀行で活躍[1]。また韓一銀行時代の1970年に監督兼選手に就任し、指導者としてのキャリアをスタートした[1]。
現役引退後はソウル特別市の奨忠高校、天安市の北一高等学校の野球部の監督を務めた。また1971年アジア野球選手権大会では野球大韓民国代表のコーチを務めた。
1982年にこの年発足したKBOリーグのOBベアーズの初代監督に就任[1]。この年の韓国シリーズを制覇し、チームを初代王者へと導いた[1]。1983年限りで退団した。
1984年からはサムスン・ライオンズの監督を務め、1985年に優勝へと導いた。1986年限りで退団した。
1988年、前年・前々年と最下位争いをしていたピングレ・イーグルスに「優勝請負人」として監督に招聘され、前年までとは違う好成績を残した。またこの年の4月7日にサムスン・ライオンズに勝利して、KBOリーグ史上初の通算300勝を挙げた監督となった。しかし、ピングレでは韓国シリーズに進出するものの準優勝に終わることも多く、最終的にはリーグ優勝を果たせず、1993年のシリーズをもって、戦績不振の責任を取り、契約切れとなって退団した。
1996年にLGツインズの投手インストラクター、1997年よりLGツインズの2軍監督を務めたが、1998年をもって2軍監督の契約が更新されず、野球界から退いた。
Remove ads
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 1(1956年-1960年)
- 20(1961年-1963年)
- 40(1982年-1983年)
- 60(1984年)
- 70(1985年-1987年)
- 99(1988年-1993年)
- 96(1997年-1998年)
Remove ads
出典
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads