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関藤碩衛
日本の政治家 (1871-1957) ウィキペディアから
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関藤 碩衛(せきどう ひろえ、1871年7月24日(明治4年6月7日[1])- 1957年(昭和32年)5月9日[1])は、岡山県小田郡陶山村(現・笠岡市)出身の官吏、地方政治家。初代倉敷市長。
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来歴
1871年6月7日、小田郡陶山村に生まれる[2]。私立関西学館を卒業し、小田郡書記となる[2]。
その後、岡山県庁へ入り県知事官房主事まで昇進したが辞任し、1921年、赤磐郡長となる[2]。その後、浅口郡長、倉敷町長を歴任[2]。1928年、市制が発布され、初代倉敷市長に就任[2][3]する。その後日比町長となる[2]。
1940年、日比町と宇野町が合併し玉野市となり初代市長に就任する[2][4]。初代市長に2度就任することは稀な出来事であった[2]。戦後、公職追放となる[5]。
追放解除後の1957年5月9日死去。享年85。
脚注
参考文献
関連項目
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