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阿知波信介

日本の俳優 (1940-2007) ウィキペディアから

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阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2007年5月4日[1])は、日本俳優芸能プロモーター。本名、阿知波 信雄(あちは のぶお)。元妻は女優多岐川裕美、娘はタレント多岐川華子。元娘婿は俳優の仁科克基(俳優の松方弘樹と女優の仁科亜希子の息子)。

概要 あちは しんすけ 阿知波 信介, 本名 ...

島根県益田市出身[2]島根県立益田高校卒業。明治大学政治経済学部卒業[2]

俳優活動の後マネージャーへ転身、田中プロモーション副社長、アクターズプロモーション副社長、兼アクターズエージェンシー社長を務めた。

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来歴・人物

元々は司会者志望で、大学卒業後に同郷である漫談家徳川夢声に弟子入りを希望したが、徳川の勧めでテレビタレントセンターに所属[2]。この間、美容研究家である竹腰美代子の体操の門下生となり、竹腰のリサイタルに出演する[2]

日本テレビテレビドラマ『夫婦百景』や、東宝映画太平洋奇跡の作戦 キスカ』などの出演を経て、1965年11月より開始した子供向け番組『おはよう!こどもショー』に体操のお兄さんとしてレギュラー出演。当時の紹介記事では「個性がそのまま出るので、この番組出演を機会に大きく飛躍したい」と述べている[2]

1967年円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマウルトラセブン』のソガ隊員役で活躍するが、それ以降俳優として大成することはなく、俳優業を引退した。それでも、岡本喜八作品には端役ながら6作品に出演しており、『ウルトラセブン』ともども、ありしの日の姿をDVDなどで見ることのできる機会は多い。

三船プロダクションに入り、新人女優の多岐川裕美のマネージャーとなる。その後多岐川と結婚。同社から田中プロモーションが分裂した際に行動を共にし、さらに再分裂した際は竜雷太を社長に担いで秋野暢子、多岐川らとアクターズプロモーションを設立した。1988年、多岐川との間に娘・華子が生まれるが、1997年に離婚。多岐川とは結婚後、所属事務所であるアクターズプロモーションの副社長と所属女優という間柄になり、離婚後もこの関係は続いた。

2007年5月2日から行方不明となり、2日後の5月4日に鹿児島県霧島市犬飼滝で遺体で発見された。67歳没鹿児島県警は状況から自殺と断定した。2004年脳梗塞により入院、死去する前の数年は高血圧に悩まされていたという[3][4]。アクターズプロモーションは同月、破産申請。負債総額は5億とも言われる。

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エピソード

出演作品

映画

テレビドラマ

バラエティ

プロデュース作品

阿知波信介(に該当する役)を演じた俳優

テレビドラマ

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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