トップQs
タイムライン
チャット
視点
青井要
ウィキペディアから
Remove ads
青井 要(あおい かなめ、1964年5月1日 - )は、香川県三豊郡詫間町(現:三豊市)[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
Remove ads
来歴・人物
尽誠学園高等学校では、エースとして1982年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、三本松高に敗退。1982年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから3位指名を受け入団。同期入団選手に畠山準(池田高・ドラフト1位)、藤本修二(今治西高・ドラフト5位)がいる。
1984年8月7日の対阪急ブレーブス戦で初登板。この時、福本豊に通算1000盗塁を決められる。1986年は肘の故障で登板機会が無く、1988年7月には左肘を手術している[1]。復帰後の1990年は中継ぎとして起用され、パシフィック・リーグ最多の49試合に登板する。1994年限りで現役を引退した。
一軍に定着した年もワンポイントリリーフが中心のため、12年間在籍で通算84試合に登板するも未勝利であった。引退後は大阪中央リトルシニアの指導に関わる。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更
記録
背番号
- 41 (1983年 - 1994年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads