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青山丘

日本の政治家 ウィキペディアから

青山丘
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青山 丘(あおやま たかし、1941年4月11日 - 2019年1月9日[1][2])は、日本政治家位階従三位勲等旭日大綬章

概要 生年月日, 出生地 ...

衆議院議員(9期)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院労働委員長文部科学副大臣などを歴任。

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概要

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2002年文部科学省にてアメリカ合衆国海洋大気庁長官コンラッド・ラウテンバッハー(左から1人目)、長官首席補佐官スコット・レイダー(右から1人目)と。

愛知県瀬戸市生まれ。1964年慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後[3]、青山硝子に入社。

1971年瀬戸市議会議員選挙に立候補し当選。自由民主党に所属し、以後2期務める。

衆院選立候補にあたり自民党の公認を得られなかったため、1976年第34回衆議院議員総選挙民社党から立候補し当選する。以後、落選を挟んで9回の当選を果たすことになる。民社党では最後の国会対策委員長に就任。

1990年第39回衆議院議員総選挙では落選するが、1993年第40回衆議院議員総選挙日本新党から推薦を受けて当選し、国政に復帰する。

1994年12月、新進党の結党に参加。小沢一郎に近い立場を取り、新進党分裂後は、小沢について自由党に参加した。しかし、自自連立後は、自由民主党への合流を指向するようになり、2000年の自由党分裂では保守党に参加する。しかし、選挙区の愛知7区には自由民主党公認の鈴木淳司が既にいたため、選挙協力と引き換えに自由民主党に入党。鈴木との間でコスタリカ方式を結び、自身は比例区(比例東海ブロック)から当選。

自民党では志帥会に参加。2001年小泉内閣が成立すると、文部科学副大臣に任命される。

2005年7月5日郵政民営化法案衆議院本会議採決で反対票を投じた。同8月21日、自由民主党を離党し、田中康夫を代表とする新党日本立党記者会見に参加、副代表に就任する。同9月11日第44回衆議院議員総選挙に比例東海ブロックより立候補するが、あと一歩届かず落選。

2006年5月、国民新党に加入、国民新党参議院比例区第1支部長に就任。

2007年7月29日第21回参議院議員通常選挙で国民新党公認で比例区から立候補したが、次点で落選。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙で前回と同様に比例東海ブロック(国民新党1位)より立候補したが落選。

2011年6月の春の叙勲で、旭日大綬章を受章する[4][5][6]

2019年1月9日、胆管がんのため、死去した[1]77歳没[7]。死没日付をもって従三位に叙された[8]

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政策・人物

統一教会との関係

その他

所属していた議員連盟

脚注

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