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高井良一男
日本の野球選手 ウィキペディアから
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高井良 一男(たかいら かずお、1940年4月26日 - )は、山口県下関市出身の元プロ野球選手(内野手)。
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来歴・人物
下関商業では、1958年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、柳井高の友歳克彦(法大-日本石油)に抑えられ敗退。高校同期に投手の田中俊幸(のちセ・リーグ審判部長)がいた。
1959年に大阪タイガースに入団[1]。1960年にはシーズン終盤に三塁手として2試合に先発出場。その後はあまり出番がなく、1961年オフに飯尾為男らとのトレードで土井豊と共に毎日大映オリオンズに移籍[1]。1962年は8月から矢頭高雄と三塁手の定位置を争う。1963年は開幕から遊撃手として起用され78試合に先発するが、打撃面では低迷が続く。1964年には石黒和弘の入団もあって出場機会が減少、同年限りで退団[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 大阪(大阪タイガース)は、1961年に阪神(阪神タイガース)に球団名を変更
- 大毎(毎日大映オリオンズ)は、1964年に東京(東京オリオンズ)に球団名を変更
背番号
- 24 (1959年 - 1961年)
- 32 (1962年 - 1964年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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