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高田稔浩
日本の車いす陸上競技選手 ウィキペディアから
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高田 稔浩(たかだ としひろ、1965年9月9日 - )は、日本の車いすの陸上競技・マラソン選手、政治家。福井市議会議員(1期)。IPC 陸上競技クラス T52 [注 1]、福井県出身、福井県身体障害者陸上競技協会所属。身長 166cm 、体重 53kg [1]。
2004年、アテネ・パラリンピック 400m 、5000m 、マラソンで金メダルなどパラリンピック3大会連続出場し通算7つのメダルを獲得、2012年、第32回大分国際車いすマラソン大会優勝などで活躍。クラス T52 の 1500m 、 5000m のアジア記録、日本記録、マラソンの日本記録などを樹立した。
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経歴
1965年9月9日、福井県生まれ。生まれつき神経が消えていき次第に筋肉が動かなくなる遺伝性感覚運動性ニューロパチーのシャルコー・マリー・トゥース病で、幼い頃は他の子供と同じようにかけっこをしたりサッカーをしたりしていたが、次第に脚が動かなくなった。福井工業大学大学院卒業後、福井市役所に就職。25歳の時に下半身の自由を失い車いす生活になる。パラスポーツの大会にボランティアで参加したことがきっかけで競技用車いすの陸上競技があることを知り、友人の勧めもあって30歳で車いすマラソンを始めた。[1][2][3]
2004年、初出場したアテネ・パラリンピック 400m 、 5000m 、マラソンの3種目で金メダル、 1500m で銅メダルを獲得した。2008年9月、北京パラリンピック 400m 銀メダル、800m では伊藤智也が金メダル、高田が銀メダルの日本選手のワンツーフィニッシュを果たした。マラソンでは上与那原寛和が銀メダル、高田が銅メダルを獲得。出場した3種目すべてでメダルを獲得した。北京大会以降にも症状は進行し、左手親指が動かなくなるも、2012年、3回目の出場となるロンドン・パラリンピック 800m で4位に入賞した。「最後を、発祥の地で終えられて良かった」と述べ、ロンドンを最後に国際舞台から降りるつもり、とも報じられた。[3][4][5][6][7]
国内では活躍を続け、2012年10月の第32回大分国際車いすマラソン大会初優勝、2014年4月、ハーフマラソンの第10回長野車いすマラソン大会を初優勝した。[8][9]
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自己ベスト・記録
主な成績
国際大会
国内大会
トラック競技
マラソン
ハーフマラソン
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受賞
- 銀杯(2004年)[89]
- 厚生労働大臣表彰(2004年、2008年)[89][90]
- 福井県栄誉賞(2004年)[91]
- 福井市市民栄誉賞(2004年)[90]
- 福井市市長表彰(2012年)[92]
2014年、「障がい者スポーツの普及に尽力し、会員の高田稔浩選手が3大会連続でパラリンピックに出場したほか、 生涯スポーツとして車いすマラソンの普及と『大分国際車いすマラソン』など競技の参加を続けてきた」として、福井県身体障害者陸上競技協会に「 FBC かがやき基金かがやき賞」が授与された。[93]
出演
テレビ番組
その他
- 福井しあわせ元気国体・障スポ融合プロモーションビデオ(2018年)[95] YouTube 配信
脚注
関連項目
外部リンク
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