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鮎川義文

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鮎川 義文(あゆかわ よしふみ、1970年4月2日 - )は、愛知県刈谷市[1]出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

刈谷市立住吉小学校[2]刈谷市立刈谷南中学校卒業[3]星城高では1年生の秋から4番を打ち、高校通算22本塁打[1]。3年生の時の1988年愛知大会は準々決勝に進出するが、名城大附高に敗退[1]

1988年度プロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから6位指名を受け、入団。

1990年シーズンから主に左の代打として一軍で起用される。

1993年シーズンには、シーズン前半に松永浩美が故障し、三塁手として32試合に先発出場。

1994年シーズンも7月から八木裕が欠場、三塁手の定位置を獲得し45試合に先発。同年のシーズンはプロ初本塁打を含む2本塁打を放つ。

1995年シーズンには、新入団のスコット・クールボーがレギュラー三塁手となり、出場機会が減少。

1996年シーズンオフ、定詰雅彦との交換トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。移籍後は二軍では活躍をするも一軍では3年間で1安打のみにとどまる。

2000年シーズンには堀幸一に代わり、二塁でスタメン出場もあったがここではあまり活躍の場がなく、同年のシーズンオフに自由契約となり現役を引退。

2007年現在は、プロ野球マスターズリーグの東京ドリームスに参加している。また2006年6月に埼玉県三郷市に開校した『松永浩美ベースボールアカデミー』で阪神時代の先輩だった松永とともに小・中学生を対象としてプロ野球選手の育成に乗り出している。

阪神時代の応援歌は一時期、同郷の赤星憲広に用いられた事がある。

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

背番号

  • 62(1989年 - 1992年)
  • 40(1993年 - 1996年)
  • 36(1997年 - 2000年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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