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麻生周一

日本の漫画家 ウィキペディアから

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麻生 周一(あそう しゅういち、1985年12月26日[2] - )は、日本漫画家埼玉県入間市出身[3]。妻は古川未鈴でんぱ組.inc[4]

概要 麻生周一, 生誕 ...

経歴

20歳頃に漫画家を志すようになるまで、週に約2回のアルバイト以外は自宅に引きこもる生活を送っていた[5]

漫画家を志した当初はストーリー漫画家志望で、感動できる作品を描きたいと考えていた。別名義で投稿した新人賞最終候補に残ったこともあった[6][7]。投稿派であったため、原稿の持ち込みをしたことはないという(2013年10月時点)[8]手塚賞に作品を投稿していたが、締切間際に手塚・赤塚両賞取りを狙い『勇者パーティー現る』を1週間で仕上げる。この結果、第64回(平成18年度上半期)赤塚賞準入選を果たし、同時にストーリー漫画家からギャグ漫画家へ転身する。なお、投稿でいきなり赤塚賞準入選を受賞するのはかなり「レアケース」であるという[5]。『勇者パーティー現る』は『週刊少年ジャンプ』(集英社2006年34号に掲載され、漫画家デビューを果たした。

その後、複数の読切掲載を経て、『ぼくのわたしの勇者学』を『週刊少年ジャンプ』2007年24号から2008年35号にかけて発表し初連載を果たす。デビューから約1年で連載まで漕ぎ着けたケースは珍しく、スタートダッシュの速い作家である[5]

『勇者学』完結後に探偵ものの連載を試みるが、当時放送していたテレビドラマ33分探偵』と構想が被ってしまい諦めた[6]

2010年には再び『週刊少年ジャンプ』で『新世紀アイドル伝説 彼方セブンチェンジ』を連載するが、13週で打ち切られる。

麻生は過去の経験から、主人公をツッコミ役にすれば自由度が高く話を作りやすいと考え[9]、『少年ジャンプNEXT!』(集英社)2010 SUMMERでツッコミ役を主人公にした読切『超能力者 斉木楠雄のΨ難』を掲載する。2011年には『週刊少年ジャンプ』で、7回不定期掲載し、タイトルを『斉木楠雄のΨ難』に改めて2012年24号から2018年13号まで連載され、テレビアニメ化や実写映画化などが行われるヒット作となった。

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人物

身長175cm[10]血液型はA型[10]。趣味はゲームダーツ[11]。自身のギャグ漫画の原点としてうすた京介を挙げる[6]。好きな漫画は「island」(古味直志)・「キャッチクラブ」(宮本和也)・「Heart Catcher」(神海英雄)。2008年時点で2005年頃からの『赤マルジャンプ』掲載作品と作者名をすべて憶えているらしい[3]。2016年4月時点で、お勧めの漫画として『僕のヒーローアカデミア』(堀越耕平)を挙げている[12]

もともとアイドルグループでんぱ組.incのファンクラブ会員[5]で、2019年9月にでんぱ組の古川未鈴と結婚することを発表した[4]

『週刊少年ジャンプ』で『勇者学』2話同時掲載を6回行った(うち5回は休載漫画の代理原稿として掲載)。更に、本誌連載を休載することなく『赤マルジャンプ』2008 WINTERでも2話同時掲載を行い、さらに『ジャンプSQ』2008年7月号にも特別編を掲載した。このことは本誌や単行本で度々ネタにしており、当時の「史上最速30話達成」を記録した[13]。なお、原稿を仕上げる速度は6日で1週分(17ページ)だという[10]

音楽ゲームBEMANIシリーズ」(コナミデジタルエンタテインメント)及びアーティストのRyu☆のファンで、「Ryu☆BEST-MOONLiGHT-」のアナザージャケットを描き下ろした。

麻生周一という名前はペンネームであるが、本名は公表していない。

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作品リスト

漫画作品

連載作品 読切作品
さらに見る タイトル, 種 ...

書籍

  • 「略」欄は上記#漫画作品の収録欄で用いている略号を示す。
ぼくのわたしの勇者学 斉木楠雄のΨ難
さらに見る 書名, 発行年 ...

その他

関連人物

アシスタント

脚注

外部リンク

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