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1955年のテレビ (日本)
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1955年のテレビ(1955ねんのテレビ)では、1955年(昭和30年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
主なできごと

4月1日、ラジオ東京(後の東京放送(TBS))がテレビ放送を開始(後のTBSテレビ、呼出符号:JOKR-TV[注 1])
コールサインもNHKと同様に、ラジオのそれの後に " -TV " が付く、日本の民放にて、初のテレビ・ラジオ兼営局が誕生。尚世間一般では、新聞のテレビ欄表記から「KRテレビ」(ケイアールテレビ、略称「KRT」)や「ラジオ東京テレビ」(ラジオとうきょうテレビ)と呼ばれていた。
3月22日、初代NHKホール(東京・内幸町)が完成、運用開始。
NHKが放送開始30周年に際し、当時のNHK東京放送会館に隣接してオープン。以降、2代目のNHKホールが1973年に運用を開始するまで、NHKの番組の公開等に使用された。
テレビ番組
- 1月2日、NHKと日本テレビが、皇居広庭からの『新年参賀風景』の中継にて、NHKと民放との初の共同制作を実施。
- 4月4日、NHKでロードショー映画番組の始まりとなる『テレビ映画劇場』が放送開始。
- 9月1日、NHKが『刑事・模擬裁判実況』を東京地方裁判所法廷から中継。
- 9月22日、NHKが国民体育大会初のテレビ中継。
- 10月3日、長谷川町子原作の漫画『サザエさん』が、KRテレビにて初のドラマ化。
- この年に行われた社会党再統一の為の『社会党統一大会』(10月13日)や、『保守新党(自由民主党)結成大会』(11月15日)の模様を共に、NHKが会場から実況生放送。
- NHKの文化庁芸術祭参加のドラマ『追跡』(11月26日放送)が、この年の芸術祭賞をテレビドラマ番組では初受賞。
- 12月31日、NHKとKRテレビにて年越し特番『ゆく年くる年』の放送がこの年から開始。民放は翌年から複数の局での同一生放送が開始される。
- その他、以下の番組が放送開始
技術
この年は、NHK放送技術研究所で開発されたハンディーカメラや、同技研製による国産イメージオルシコン撮像管を導入したテレビカメラが実用化されている。又、同研究所にて、NTSC方式のカラーテレビ受信機の試作品を完成している。
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できごと
- 1月
- 2月
- 3月
- 4月
-
- 4月1日午前10時、ラジオ東京(KR)テレビ(後のTBSテレビ、JOKR-TV[注 1])開局、本放送開始。日本の民放にて、初のテレビ・ラジオ兼営局が誕生。[1][9][10][11]。
- 1日 - NHK、群馬県伊香保町で、同軸ケーブルによるテレビ共同受信方式の最初の実験を開始[1]。
- 3日 - NHK、東京放送劇団の第1回公演『大盗大助』を、東京・俳優座劇場から中継(同月6日にはラジオ第2でも放送)[1][13]。
- 4日 - NHK、日本の映画会社5社[注 4]と、封切から3年以上経過した映画を週1回放送を行う契約が成立したのを受け、番組『テレビ映画劇場』が放送開始( - 1957年3月30日)。ロードショー映画番組の始まりとなる。第1回は『風雪二十年』(1951年、東映作品)[14]が放送された[1][15]。
- 9日 - KRテレビで生放送ドラマ『日真名氏飛び出す』(三共(後の第一三共)一社提供)放送開始( - 1962年7月14日)[1]。
- 13日 - KRテレビ、自社テレビ初のプロボクシング中継を行う(日本選手権フェザー級 大川寛 対 赤沼明由 ほか)[10]。
- 14日 - NHKでクイズ番組『私の秘密』放送開始[1][16]。1967年3月27日まで12年間も続く長寿番組となった。
- 5月
-
- 3日 - NHK、海外のプロオーケストラとしては戦後初の来日公演となる、シンフォニー・オブ・ジ・エア(元NBC交響楽団)の演奏会を日比谷公会堂から[17]、同月23日には、N響との合同演奏会を後楽園球場から[18]共に生中継[1]。
- 12日 - NHK、前日(11日)に起きた紫雲丸遭難事故関係にて、特別番組『特集 紫雲丸沈没事件』を放送[1][19]。
- 15日
- 20日 - 羽田空港に民放記者室を設置[1]。
- 28日 - NHK、この日と同月30、31日の3日間に渡ってに行われた『テニス・デビスカップ(デ杯) イースタンゾーン決勝 「日本 対 フィリピン」』の実況中継を、東京・田園コロシアムから中継[1][21][22][23]。
- 月内 - NHK放送技術研究所(NHK技研)、NTSC方式のカラーテレビ受信機の試作品が完成[1]。
- 6月
- 7月
-
- 2日 - KRテレビ、この日に大阪球場で行われた『第5回「プロ野球オールスター戦」第1戦』を、大阪から自社初の遠距離中継を実施して実況生中継[1][6][10]。
- 7日 - NHK、NHK技研製による国産イメージオルシコン撮像管を使用した、テレビカメラの使用を開始[1]。
- 15日 - NHK、名古屋放送会館が名古屋市東区に落成、運用開始[1]。
- 18日 - NHK、スイスのジュネーヴで実施の、米英仏ソ首脳による「ジュネーヴ4巨頭会談」の現地からの報告による特別番組 『四大国最高会議をめぐって』を放送[1][24]。
- 25日 - NHK、「テロップ」装置の使用を開始[1]。
- 31日 - NHK、東京・田園コロシアムからの『全日本大学男子バレーボール選手権大会決勝戦』の中継[25]にて、NHK技研製の携帯カメラ「ウオーキールッキー」を初使用[1]。
- 8月
- 9月
- 10月
- 11月
- 12月
-
- 3日 - 鹿児島県の離島、奄美大島で名瀬市大火が発生[35]。NHKは、その模様を収めた取材フィルムを特別機につりあげて輸送、同災害を速報で伝える[1]。
- 24日 - NHKが時報に「テロップ時計」の使用を開始[1]。
- 31日
- NHK、『第6回NHK紅白歌合戦』を生放送[36]。司会は白組が宮田輝、紅組が高橋圭三(ともに当時NHKアナウンサー)、初の男性2名での司会となった[注 5]。
- KRテレビは上記の紅白の裏番組として、当時の人気歌手が総出演した特別番組『オールスター歌合戦』を生放送(金鶴香水株式会社(後の丹頂株式会社、後のマンダム)一社提供)[1][10][37]。翌1956年も『オールスター丹頂歌合戦』として放送し、翌1957年から始まる『オールスター大行進』につながる。
- NHK、KRテレビにて、年越し特番『ゆく年くる年』が放送を開始。
- NHKの『ゆく年くる年』では、銀座八丁目、新橋一丁目、そして奈良東大寺の除夜の鐘の生中継を実施[38]。以後毎年恒例の年越し番組となる。
- KRテレビは、銀座・浅草から自社テレビ初の3元中継を実施[10][37]。翌年からは、複数の民放テレビ局での同一生放送『ゆく年くる年 (民間放送テレビ)』が開始される。
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開局・放送開始
- 4月1日 - ラジオ東京テレビ(後のTBSテレビ) - 日本民放初のテレビ・ラジオ兼営局
テレビ番組
テレビドラマ
バラエティなど諸分野
- 私の秘密(NHK)
- ゆく年くる年(NHK)
- タレント・スカウト(KRテレビ)
- 第6回NHK紅白歌合戦(NHK。12月31日)
- オールスター歌合戦(KRテレビ。12月31日)
報道
- 東京テレニュース(KRテレビ)
脚注
参考文献
関連文献
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