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1961年の南海ホークス
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1961年の南海ホークスでは、1961年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の16年目のシーズンであり、2年ぶり8度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。
概要
ジョー・スタンカの加入などで1960年は連覇が期待されながらも、優勝を逃したチームはこの年バディ・ピートを獲得して打線を強化し、開幕前の下馬評では優勝候補の本命に挙げられた。開幕後は前年優勝の大毎が開幕ダッシュに失敗したこともあり、2位の東映に4.5ゲーム差を付ける好スタートで、8月までは首位を走り続けた。しかし、9月に入ると水原茂監督率いる東映が張本勲、毒島章一、土橋正幸などの活躍で首位を奪還。南海・東映のマッチレースとなったが、終盤に東映の選手が優勝争い未経験だったこともあり、守備でエラーを連発。最終的に経験豊富の南海が2年ぶりの優勝を果たした。対戦成績はBクラスチームとの相性がよく、特に5位の阪急には22勝5敗1分、最下位近鉄には23勝5敗と両球団から貯金35を稼いだ。日本シリーズは宿命のライバル・巨人と2年ぶりの対決となり、日本一が期待されたが、第4戦でエース杉浦忠をリリーフしたスタンカが味方のエラーなどでピンチに立たされ、最後は巨人打線の集中打を浴びて悪夢のサヨナラ負け。第5戦には勝ったものの、巨人有利の流れを変えることはできず、大阪球場での第6戦に敗れ、巨人の6年ぶり日本一を許した。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 広瀬叔功 |
---|---|---|
2 | 二 | カールトン半田 |
3 | 右 | 杉山光平 |
4 | 捕 | 野村克也 |
5 | 遊 | ピート |
6 | 左 | 穴吹義雄 |
7 | 三 | 森下整鎮 |
8 | 一 | 寺田陽介 |
9 | 投 | スタンカ |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 85 | 49 | 6 | .634 | 優勝 |
2位 | 東映フライヤーズ | 83 | 52 | 5 | .615 | 2.5 |
3位 | 西鉄ライオンズ | 81 | 56 | 3 | .591 | 5.5 |
4位 | 毎日大映オリオンズ | 72 | 66 | 2 | .522 | 15.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 53 | 84 | 3 | .387 | 33.5 |
6位 | 近鉄バファロー | 36 | 103 | 1 | .259 | 51.5 |
日本シリーズ
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オールスターゲーム1961
→詳細は「1961年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
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