トップQs
タイムライン
チャット
視点
1966年のサンケイアトムズ
ウィキペディアから
Remove ads
1966年のサンケイアトムズ(1966ねんのサンケイアトムズ)では、1966年のサンケイアトムズの動向をまとめる。
この年のサンケイアトムズは、飯田徳治監督の1年目のシーズンである。この年から、チーム名をサンケイアトムズに改称した。
概要
1965年のサンケイスワローズでふれたように、日本国有鉄道に代わってフジテレビ・産業経済新聞社を中心とするフジサンケイグループが新たに親会社となったが、チームは金田正一など中心選手の移籍が相次ぎ最下位で1965年のシーズンを終了した。サンケイスワローズはチームのイメージアップを図るべく、新ニックネームを募集。漫画家の手塚治虫の『鉄腕アトム』からニックネームが「アトムズ」に変更され、またユニフォームも国鉄時代の紺色から青と赤(ヤクルトスワローズとなっても継承)に変更された。新ユニフォームのデザインをファッションデザイナーの石津謙介が、新チームロゴ「atoms」をグラフィックデザイナーの亀倉雄策が手掛けた。石津・亀倉・手塚の三人がデザインした新ユニフォームは「日本一のユニフォーム」と言われたが肝心のチーム成績は5月に5位に転落すると、8月には最下位が定位置となり、チームは大洋と同率の最下位(5位)でシーズンを終えた。対戦成績では優勝の巨人と3位阪神には11勝15敗、同率最下位の大洋には13勝13敗と健闘したが、中日には8勝18敗、4位広島には9勝17敗と大きく負け越したのが響いた。投手陣はチーム防御率が3.16とまずまずだったものの、打撃陣は貧打にあえぎチーム打率が.215、盗塁数も巨人の148個に対してサンケイは約100個少ない52個で、貧打と機動力不足では全く勝てなかった。
Remove ads
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 岡嶋博治 |
---|---|---|
2 | 左 | 丸山完二 |
3 | 中 | ジャクソン |
4 | 一 | 豊田泰光 |
5 | 右 | 別部捷夫 |
6 | 三 | 徳武定祐 |
7 | 遊 | 東条文博 |
8 | 捕 | 根来広光 |
9 | 投 | 渋谷誠司 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 89 | 41 | 4 | .685 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 76 | 54 | 2 | .585 | 13.0 |
3位 | 阪神タイガース | 64 | 66 | 5 | .492 | 25.0 |
4位 | 広島カープ | 57 | 73 | 6 | .438 | 32.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 52 | 78 | 0 | .400 | 37.0 |
5位 | サンケイアトムズ | 52 | 78 | 5 | .400 | 37.0 |
Remove ads
オールスターゲーム1966
→詳細は「1966年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 取り消し線は出場辞退
できごと
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1966年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
Remove ads
出典
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads