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後藤和昭

日本のプロ野球選手 (1944-) ウィキペディアから

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後藤 和昭(ごとう かずあき、1944年5月28日 - )は、静岡県三島市[1]出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

東海大一高では、1961年秋季中部大会1回戦に進むが、中京商林俊彦木俣達彦のバッテリーに抑えられ敗れる。翌1962年夏の甲子園県予選準々決勝へ進出するが、島田商に敗退。

高校卒業後は1963年駒澤大学へ進学し、東都大学野球リーグでは在学中2度の優勝を経験。2年次の1964年10月には、東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に三塁手として出場しているほか、4年次の1966年秋季にはベストナイン(三塁手)を受賞。リーグ通算95試合出場、332打数86安打、打率.259、5本塁打、32打点。大学同期に伊藤久敏土屋紘大下剛史がいる。

1966年の第2次ドラフトサンケイアトムズに3位指名されるものの拒否し、大学卒業後は1967年日本軽金属へ入社。産業対抗に2回出場し、1968年ドラフト外阪神タイガースへ入団[1]。1年目の1969年にはジュニアオールスターに出場してMVPを獲得し、2年目の1970年には大倉英貴と三塁手の定位置を争い、3年目の1971年にレギュラーを獲得。1973年には規定打席に到達し、打率.243(22位)を記録した。守備に定評があり、巨人戦に強かったが、1975年には掛布雅之が三塁手に定着。主に一塁手として起用されるが出場機会は減少し、1976年には村上雅則東田正義とのトレードで日本ハムファイターズに移籍するが、あまり活躍の場はなく同年限りで現役を引退[1]

引退後は、藤井勇の斡旋でスポーツ用品メーカーへ就職し、野球教室でも活躍。

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

表彰

背番号

  • 30 (1969年)
  • 3 (1970年 - 1975年)
  • 8 (1976年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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