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1966年の阪神タイガース
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1966年の阪神タイガース(1966ねんのはんしんタイガース)では、1966年の阪神タイガースの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、杉下茂が監督に就任し、前年まで監督を務めた藤本定義が総監督に就任したが、杉下が8月に辞任し、藤本が監督に復帰したシーズンである。
概要
1965年まで監督を務めた藤本定義総監督に代わり、投手兼ヘッドコーチの杉下茂が昇格。杉下新監督はベテランに頼るチームの体質改善のため、それまで内外野の控えだった安藤統男を二塁手のレギュラーに、ドラフト2位でこの年入団の藤田平を開幕一軍に入れるなど若手を積極的に起用。チームは5位ながらも首位の中日と3.5ゲーム差とまずまずの成績を残すが、5月以降は前年優勝の巨人が首位に立つと、中日共々チームは苦戦を強いられた。後半戦以降の巻き返しが期待されたがチームは黒星が先行し、さらに起用した藤田などの若手が経験不足を露呈するなど誤算が続き8月13日には遠征先の広島で杉下監督の休養が発表。急遽藤本総監督が再び監督に就任しチームは終盤の10月以降広島を抜き3位に入るが、優勝の巨人に25ゲーム差、2位中日に12ゲーム差をそれぞれつけられる惨敗で3年ぶりの負け越しに終わった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 並木輝男 |
---|---|---|
2 | 遊 | 本屋敷錦吾 |
3 | 右 | 藤井栄治 |
4 | 一 | 遠井吾郎 |
5 | 左 | 山内一弘 |
6 | 二 | 安藤統男 |
7 | 捕 | 辻佳紀 |
8 | 三 | 朝井茂治 |
9 | 投 | 村山実 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 89 | 41 | 4 | .685 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 76 | 54 | 2 | .585 | 13.0 |
3位 | 阪神タイガース | 64 | 66 | 5 | .492 | 25.0 |
4位 | 広島カープ | 57 | 73 | 6 | .438 | 32.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 52 | 78 | 0 | .400 | 37.0 |
5位 | サンケイアトムズ | 52 | 78 | 5 | .400 | 37.0 |
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入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
オールスターゲーム1966
→詳細は「1966年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
選手・スタッフ
試合結果
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
※セーブ制度は1974年から
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個人成績
要約
視点
投手成績
※色付きは規定投球回数(135イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(419打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
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達成記録・出来事
- 6月8日 - 村山実が巨人7回戦(甲子園)で6回に長嶋茂雄から三振を奪い通算1500奪三振、史上15人目
- 6月19日 - 山内一弘が広島9回戦(甲子園)4回に走者として藤井栄治の適時打で生還し通算1000得点、史上3人目
- 7月5日 - 村山実が巨人13回戦(甲子園)で2000投球回、史上31人目
- 7月17日 - 村山実が大洋17回戦(甲子園)で登板し完投勝利し通算150勝、史上21人目
- 7月31日 - 権藤正利が中日19回戦(甲子園)での4回に中暁生から三振を奪い通算1500奪三振
- 8月13日 - 杉下茂監督の休養、藤本定義総監督の復帰を発表
- 9月4日 - 権藤正利が巨人22回戦(甲子園)3回表途中から救援登板し通算500試合登板
- 10月8日 - 本屋敷錦吾が巨人26回戦(後楽園)で8番・二塁手で先発出場で通算1000試合、史上120人目
- 12月21日 - 土橋修が12月19日に和歌山県内で交通事故にあい、頭部打撲と両足骨折の重傷を負い21日午後10時20分、和歌山県内の病院で死去、享年22。
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表彰
ドラフト指名選手
→詳細は「1966年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
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脚注
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