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2000年中華民国総統選挙
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2000年中華民国総統選挙(2000ねんちゅうかみんこくそうとうせんきょ、台: 2000年中華民國總統選舉、正式名称: 第10任總統副總統選舉)は、2000年(民国89年)3月18日に中華民国(台湾)で行われた、総統、副総統(第10期)を選出する選挙である。
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概要
この選挙では、国民党に所属していた宋楚瑜が李登輝総統・党主席と対立、同党を離党して無所属で総統選挙に立候補し、国民党支持者の票が二分されたことが民進党勝利の要因となった。国民党内部の対立原因は1998年に李登輝が台湾省の虚省化(行政機能の凍結)を実施し、初の民選省長であった宋楚瑜を解任したことにある。その後宋楚瑜は平静を装っていたが、連戦が国民党の公認候補に指名されたことで国民党を離党、無所属での出馬を表明した。総統選立候補には有権者100万人の署名が必要だったが、宋陣営はこの署名も集めている。
民進党でも内部分裂が発生し、元党主席の許信良が出馬を表明し、陳水扁と党公認候補の地位を争った。民進党党則では公職選挙への公認に制限が設けられ、1998年に台北市長選挙で再選を狙ったが落選した陳水扁は公認候補の資格がなかった。しかし陳水扁の支持率の高さから党則改定を行い、民進党の公認候補に陳水扁が決定した。この経緯に不服だった許信良は民進党を離党、無所属で出馬した。
選挙結果は接戦で民進党候補が当選し、初めて政権の座を追われることになった国民党では党主席である李登輝の責任を問う声が大きくなり、また外省人が中心に国民党支持者が国民党中央党部前で李登輝の党主席辞任を求めるデモを行った。デモへの参加者は連戦支持者より宋楚瑜支持者が多かったと言われている。これにより李登輝は任期途中で党主席を辞任し、連戦が党主席に就任した。
一方次点となった宋楚瑜は選挙後に親民党を結成した。当初連戦に反発し離党した宋楚瑜は対立関係にあったが、2001年に李登輝が国民党を離党し、両陣営の対抗勢力として民進党の陳水扁政権が浮上するに伴い両党は接近し、「泛藍」が形成されることとなった。また李登輝派の一部は台湾団結連盟を結成、民進党と共に「泛緑」と称されるようになった。
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選挙制度
総統候補は副総統候補とペアで出馬し、比較多数の候補ペアを当選者とする。中華民国憲法の規定により、任期は4年、再選は1度。
選挙権は、自由地区(台湾地区)に6ヶ月以上在住する20歳以上の中華民国国民に与えられ、在外住民も選挙権を有する。
被選挙権は、自由地区に6か月以上在住し、中華民国国民として15年以上経過した40歳以上が被選挙人として登録できる。ただし、中華民国国籍を回復、帰化した者、大陸地区(中華人民共和国や香港、マカオ)から移住してきた国民は被選挙人として登録できない。
立候補にあたって政党(直近の国政選挙で5%以上の得票)からの推薦を得るか、複数の政党による推薦(推薦政党の直近国政選挙の得票数合計が5%以上)が必要である。
無所属で立候補する場合は被署名推薦と呼ばれ、直近立法院選挙有権者の1.5%の署名を中央選挙委員会に提出する必要があり、署名の結果をもって、立候補資格を得ることが可能となる[1]。
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候補者
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総統候補 | 副総統候補 | 総統候補 | 副総統候補 |
連戦 | 蕭万長 | 陳水扁 | 呂秀蓮 |
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副総統 党副主席 |
行政院長 | 元台北市長 元立法委員 |
桃園県長 元立法委員 |
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無所属 | ||
総統候補 | 副総統候補 | 総統候補 | 副総統候補 |
李敖 | 馮滬祥 | 宋楚瑜 | 張昭雄 |
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作家 | 立法委員 | 元台湾省長 元中国国民党秘書長 |
長庚大学学長 |
無所属 | |
総統候補 | 副総統候補 |
許信良 | 朱恵良 |
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元桃園県長 元民主進歩党主席 |
立法委員 |
中国国民党
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民主進歩党
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新党
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無所属ほか
無所属または得票率5%未満の政党からの立候補者は、中央選挙委員会へ2000年1月16日までに届け出を提出した。
直近の立法院選挙の有権者(14,712,126人)の1.5%(220,682人)の署名が必要で、2陣営を立候補者として受理された[2]。
選挙運動
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選挙結果
要約
視点
全国集計
県市別投票結果 |
郷鎮市区別投票結果 |
候補者 | 所属政党 | 得票数 | 得票率 | |||
総統 | 副総統 | |||||
陳水扁 ![]() |
呂秀蓮 ![]() |
![]() |
4,977,737 | 39.30% | 陳水扁・呂秀蓮 (39.30%) 宋楚瑜・張昭雄 (36.84%) 連戦・蕭万長 (23.10%) 許信良・朱恵良 (0.63%) 李敖・馮滬祥 (0.13%)
| |
宋楚瑜 | 張昭雄 | 無所属 | 4,664,932 | 36.84% | ||
連戦 | 蕭万長 | ![]() |
2,925,513 | 23.10% | ||
許信良 | 朱恵良 | 無所属 | 79,429 | 0.63% | ||
李敖 | 馮滬祥 | ![]() |
16,782 | 0.13% | ||
有効票数(有効率) | 12,664,393 | 99.04% | ||||
無効票数(無効率) | 122,278 | 0.96% | ||||
投票者数(投票率) | 12,786,671 | 82.69% | ||||
棄権者数(棄権率) | 2,676,711 | 17.31% | ||||
有権者数 | 15,463,382 | 100.0% | ||||
出典:中央選挙管理会 選挙資料庫 |
民主進歩党の陳水扁が39.30%の得票率で当選し、無所属の宋楚瑜の得票率は36.84%と、僅差の選挙戦となった。長期に渡り政権を担当してきた中国国民党の連戦は、泛藍連盟の支持者のほとんどを宋楚瑜に奪われ、得票率は23.10%と第3位となった。この得票率は、現在に至るまでの国民党の最低記録となっている。
県市別
前回の史上初の直接選挙ではわずかしか見られなかった地域的傾向が今選挙から出現。現在まで続く南緑北藍の構図が見られる初の選挙となった[3]。
民主進歩党の陳水扁は、地盤である宜蘭県と濁水渓以南の雲林県、嘉義県・市、台南県・市、高雄県・市、屏東県で得票率45%以上を獲得、また台湾のスイング・ステートである彰化県でもリードし、当選まで漕ぎつけた。
無所属の宋楚瑜は、泛藍連盟の地盤である金門県・連江県、花蓮県・台東県、新竹県・苗栗県で50%近い得票率を獲得、また台北県・市、桃園県、台中県・市といった都市部でもリードしたものの、前半6県は人口が少ないうえ後半5県市では小幅リードであったため、人口の少なくない地盤で大幅リードした陳水扁に票差で追いつけず、落選となった。
中国国民党の連戦は、泛藍連盟の支持者をほとんど宋楚瑜に奪われたため全国的に投票傾向がほとんど見られず、全ての県市で10~20%台の得票率にとどまり3位に沈んだ。ただし、選挙時の総統李登輝とその夫人・曽文恵の出身地である台北県三芝郷と石門郷では、得票率が40%超を記録しリードを果たした。
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脚注
関連項目
外部リンク
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