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2001年のF1世界選手権
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2001年のF1世界選手権(2001ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第52回大会である。2001年3月4日にオーストラリアで開幕し、10月14日に日本で開催される最終戦まで、全17戦で争われた。
2001年のFIAフォーミュラ1 世界選手権 |
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前年: | 2000 | 翌年: | 2002 |
一覧: 開催国 | 開催レース |

シーズン概要
要約
視点
シューマッハ独走時代のはじまり

前年チャンピオンであるミハエル・シューマッハ(フェラーリ)は今季も9勝11ポールポジションを記録し、ランキング2位のデヴィッド・クルサード(マクラーレン)にほぼ倍のポイント差(シューマッハ123点、クルサード65点)をつけ、自身4度目のチャンピオンを獲得した。過去数年はミカ・ハッキネンと終盤まで熾烈なチャンピオン争いが行われたが、今季はハッキネンにマシントラブルが頻発、シューマッハ独走のまま第13戦ハンガリーGPで決着がついた。シューマッハは次戦ベルギーGPでアラン・プロストの持つF1最多勝記録(51勝)を更新するなど、改めて強さを印象付けた。
クルサードは第6戦オーストリアGPの優勝によりシューマッハとの差を4ポイントまで縮め、続くモナコGPでもポールポジションを獲得したが、エンジンストールで最後尾スタートに転落(決勝5位)。後半戦は勢いが続かず、シューマッハの独走を許した。
ミハエルの弟であるラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)はトップドライバーとしての地位を確立し、第3戦サンマリノGPでの初優勝を含めて3勝1ポールポジションを記録した(ランキング4位)。兄弟予選フロントロー独占(第3戦ブラジルGP)、兄弟ワンツーフィニッシュ(第8戦カナダGP)といったF1史上初の兄弟記録が生まれ、白熱した兄弟バトルも展開された。
タイヤ戦争再び
前年までタイヤ単独サプライヤーであったブリヂストンに加え、この年からフランスのミシュランが4チーム(ウィリアムズ、ルノー、ジャガー、プロスト)に供給を開始。2006年シーズンまで続くタイヤ戦争が勃発した。
ミシュランユーザーの中で筆頭格のウィリアムズは2年目のBMWエンジンが進化。信頼性に課題を残すものの、高速コースでは速さをみせ、ミシュラン復帰後初勝利(サンマリノGP)を含む4勝4ポールポジションを稼いだ。
ベテランの引退と新世代の登場
シューマッハと2強対決を演じてきたミカ・ハッキネンは2勝ポールポジションなしでランキング5位。スペインGPでは独走しながら最終ラップにエンジンが息絶えるなど、今季はマシントラブルに泣かされ、本人のモチベーションも低下。ハッキネンは2002年の休養を表明し、のちに正式にF1から引退した。また、熱い走りを魅せたジャン・アレジも最終戦日本GPで引退を表明し、1990年代を彩った名ドライバーたちがF1から去った。
一方で、2000年代の主役になる新人たちがデビューした。
- CART王者・インディ500優勝者という大物ルーキー、ファン・パブロ・モントーヤがウィリアムズからデビュー。シューマッハを相手にしても物怖じしない度胸をみせ、ドイツGPで初PP獲得、イタリアGPではポール・トゥ・ウィンで初勝利を達成した。
- フォーミュラ経験2年弱というキミ・ライコネンがザウバーからデビュー。周囲の懸念を払拭する活躍をみせ、ハッキネンの後継者としてマクラーレンに抜擢される。
- ミナルディからデビューしたフェルナンド・アロンソは非力なマシンで非凡な才能を見せ、翌年ルノーのテストドライバーに起用される。
トピック

- 開幕戦オーストラリアGPではジャック・ヴィルヌーヴ(BAR)がラルフ・シューマッハに追突して宙を舞う高速クラッシュが発生。ドライバーは無事だったが、ちぎれたタイヤがフェンスの隙間を抜けてコースマーシャルを直撃し、マーシャルは死亡した。同様のタイヤ飛散によるマーシャル死亡事故は前年のイタリアGPでも発生していた。
- レギュレーションではフロントウィングの左右部分の高さが50mm引き上げられた(ダウンフォース削減策)。また、1994年以降禁止されていた電子制御の運転補助システム(トラクションコントロールやローンチコントロール)の使用がスペインGPより解禁された。
- 9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件の影響で1週間後のイタリアGP開催が危ぶまれたが、テロに屈しない意思表示として予定通り開催された。9月30日にはアメリカGPも無事開催された。F1チームもそれぞれの方法でテロの犠牲者に哀悼の意を表した。
- シーズン後にプロストが破産し撤退。リジェから受け継いだ伝統が途絶えた。ワークス体制が復活したベネトンはこの年以降ルノーのフルワークスとなり名称が変更され、また、資金難のミナルディもポール・ストッダートへオーナーシップが交代した。
- F1参戦中の大手自動車メーカー5社がグランプリ・ワールド・チャンピオンシップ(GPWC)を結成。独立新シリーズ発足をアピールしつつ、FIA会長マックス・モズレーと対立していくことになる。
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開催地及び勝者
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エントリーリスト
- エンジンは全車V10
ドライバー変更
- リカルド・ゾンタ - 第8戦カナダGP、第12戦ドイツGPでフレンツェンの代役として出走
- ジャン・アレジ - 第13戦ハンガリーGP以降でゾンタの代役として出走
- ペドロ・デ・ラ・ロサ - 第5戦スペインGP以降でブルティの代役として出走
- アレックス・ユーン - 第15戦イタリアGP以降でマルケスの代役として出走
- ルチアーノ・ブルティ - 第5戦スペインGPから第14戦ベルギーGPまでマッツァカーネの代役として出走
- ハインツ=ハラルド・フレンツェン - 第13戦ハンガリーGP以降でアレジの代役として出走
- トーマス・エンゲ - 第15戦イタリアGP以降でブルティの代役として出走
2001年のドライバーズランキング
要約
視点
† リタイアしたがレース距離の90%以上を走行していたため完走扱い
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2001年のコンストラクターズランキング
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外部リンク
- formula1.com - 2001 official driver standings
- formula1.com - 2001 official team standings
- 2001 Formula One Sporting Regulations Retrieved from web.archive.org on 23 January 2009
- 2001 Formula One Technical Regulations Retrieved from web.archive.org on 25 January 2009
- 2001 FIA Formula One World Championship for Drivers - Final Classification Retrieved from web.archive.org on 25 January 2009
- 2001 FIA Formula One World Championship for Constructors - Final Classification Retrieved from web.archive.org on 25 January 2009
- 2001 FIA Formula One World Championship images Retrieved from www.f1-photo.com on 23 January 2009
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