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JR北海道キハ150形気動車
北海道旅客鉄道の一般形気動車 ウィキペディアから
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キハ150形気動車(キハ150がたきどうしゃ)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が1993年(平成5年)から運用する一般形気動車である。
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概要
さらなる地方線区のワンマン化推進と各種コストの削減、バスなどへの対抗を目的に、JR東日本のキハ110形気動車をベースに開発された両運転台式気動車である[4]。製造は全車富士重工業が担当し、1993年(平成5年)から1995年(平成7年)にかけ富良野線向けの1次車 (1 - 10、0番台)、苫小牧地区向けの2次車 (101 - 110、100番台)、函館本線(山線)向けの3次車 (11 - 17、0番台)の計3次に渡って27両投入された[5][6]。
高出力機関を搭載して動力性能を向上し、北海道の一般形気動車で初めて冷房装置を搭載する(0番台のみ)など接客設備の改善もなされたほか、ワンマン運転設備の搭載、バス用汎用部品の採用など製造コスト削減も考慮された。
導入の背景
国鉄分割民営化直前、北海道地区には多くの老朽化した気動車が在籍していたことから、1986年(昭和61年)にワンマン運転も見据えたキハ54形500番台が道内各地へ投入され、続いて民営化後の1988年(昭和63年)に当初よりワンマン運転に対応するキハ130形を日高本線に投入、また、1989年(平成元年)度からは721系電車の投入で余剰となった50系51形客車をキハ141・142形気動車に改造して通勤輸送の伸びが著しい札沼線に投入した[7]。
これら施策により玉突きで余剰となったキハ40形100番台はワンマン化改造を受けた700番台となり、多くの線区でワンマン化をはじめとする効率化が進行した[7]。
しかし、それでもなお残存したキハ22形・キハ56系などは経年30年を超え老朽化著しく、ワンマン運転にも対応せずサービスレベルの低下を招いていた[7]。
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構造
要約
視点
以下特記ない限り、1993年(平成5年)に10両投入された1次車 (1 - 10)登場時の内容を示す。また、函館本線基準で函館方が前位である[8]。
外観・車体
車体は普通鋼製(一部高耐候性圧延鋼材を使用)で、全長は20m級、客用扉は片開き式のものを片側2か所に設ける[2][9]。車体の前後に運転台をもつ両運転台式で、1両単位での運用が可能である[2]。
また、後述するように冷房装置を搭載したため、側面客室窓はすべて大型の固定窓となった[10]。
前部標識灯(シールドビーム)は正面上部の左右および正面中位の左右に4灯を装備する。後部標識灯(LED)は正面上位、貫通扉の真上に配置する[9]。警笛は当初屋根上に空気式 (AW2型) が搭載された[9]。
外部塗色はライトグレーをベースに富良野線向けの1次車はラベンダー色の太帯にライトグリーン(萌黄色)の細帯を配している。また、客用扉は太帯と同じ色で塗装されている[9]。
主要機器

駆動機関は冬季の排雪走行での単車運用が要求されたことから、コマツ製の過給器・吸気冷却器付の直噴式ディーゼル機関N-KDMF15HZ形(SA6D140-H・定格出力450ps/2000rpm・最大トルク173kgm/1400rpm 水平直列6気筒・総排気量15240cc)を1基装備する[2]。450psの定格出力はキハ40形 (DMF15HSA・220ps) の2倍強、2台機関搭載のキハ56形(DMH17H・180ps×2)をも上回り、直噴化により燃費も向上した[11]。
液体変速機は湿式多板クラッチによる変速1段・直結2段式のN-DW14C形(キハ183系5200番台「ノースレインボーエクスプレス」やキハ183系200番台と同型)である[2][11]。
台車は空気ばね支持のボルスタレス台車で、前位側が2軸駆動の動台車N-DT150形、後位側が従台車のN-TR150形である[12]。2軸駆動としたのは牽引力確保のためとされている[2]。軸箱支持機構は積層ゴム[注 1]を用い、基礎ブレーキ装置は車輪踏面片押し式である[2][13]。ブレーキ制御はキハ40形などの従来車と混結するため、共通の3圧式制御弁をもつCLE方式(応荷重装置付電磁自動空気ブレーキ)である。なお、本系列では抑速ブレーキとして、従来車でも使用される機関ブレーキに加えて、コンバータブレーキも採用されている一方で、排気ブレーキは搭載されていない[14]。
これらの駆動系改良により、最高速度110km/hでの走行が可能である[2]。一方で、放熱器・燃料タンクなどの補機類にはバス用などの自動車用部品・汎用部品を用い、製造コスト削減を図っている[2]。
本系列は北海道の一般形気動車としては初めて、登場時より冷房装置が搭載された。これは投入された旭川地区が北海道内としては比較的夏季に高温であり、競合するバスの冷房化率も高かったことが理由であった[5]。装置はバス用を転用した走行機関直結式の冷房装置、N-AU150 (20,600kcal/h)で[注 2]、室内機が屋根上、コンプレッサーは床下に取り付けられている[10]。また室内に扇風機が設置されていない代わりに、強制換気装置としてバス用の横流ファン(クロスフローファン、ラインフローファン、とも)が屋根上に4基設置されている[10]。
他の酷寒地対応として、機関始動および暖房用の機関予熱器(容量30000kcal/h)を装備するほか、燃料タンクは500Lを2個装備として大容量化している。
車両間を電気的に接続するジャンパ栓は正面の片側(2 - 4位)にのみ設けられ(片渡り)、本形式同士を連結する際は、必ず各車の向きを同一方向に揃える必要がある[8]。
客室設備
コストダウンのため内張はメラミン樹脂ではなく焼付塗装印刷の化粧鋼板が採用された[10]。また、座席色は緑色、優先席部のみ紫色(後年橙色に変更)としている[10]。
車内中央が1+2列のクロスシート、客用扉周辺はロングシートとしたセミクロスシートである[10]。また、従来の北海道向け車両では一般的であったデッキが廃され、代わって車端部のロングシート袖仕切りは枕木方向(水平方向)に大型化し、上部はガラス製の風防を取り付けている。また、当初は半自動扉機能も設けられていたが、使用実績はなかった[10]。
4位側出入り台付近には循環式汚物処理装置付のFRPユニット式和式トイレが組み込まれている[10]。また、付近には車椅子スペースが備えられている[2][10]。
運転台
貫通型の半室構造で、運賃箱など、ワンマン運転用の各種設備も製造当初より装備する[2]。
従来型車両とも併結するため、運転操作は2ハンドル式を踏襲したが、自動変速のため変速ハンドルはない[15]。
- 車内(キハ150-12)
- ロングシートと優先席(キハ150-12)
- 1列クロスシート(キハ150-12)
- 2列クロスシート(キハ150-12)
- 運転台(キハ150-12)
- 側面行先表示器(キハ150-109)
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改造・仕様変更
要約
視点
改造のうち、記録が残る具体的な日付は後節を参照のこと。
2次車(100番台 101 - 110)
1次車とほぼ同時期の1993年(平成5年)に苫小牧地区向けとして苫小牧運転所に10両が投入されたグループで、100番台に区分されている[6]。冷房装置の省略が大きな変更点であり、それに伴って1次車と異なる箇所が多く存在する。
- 冷房装置の搭載を省略。扇風機は0番台同様設置せず横流ファンで代替し、4基から6基に増強[10]。この関係で0番台では客室内荷棚上に設けられている冷風ダクトが100番台では無くなっている。
- 側面窓を固定窓から小型の内はめ式ユニット開閉窓(窓の上半が内側に倒れる)に変更。この関係で側構の厚さを40 mm 厚くした(60 mm→100 mm)[10]。このため客室通路幅・床面積が若干狭くなり、立席定員が68名から66名に減少、定員は115名となった[10]。また、カーテンは横引きのプリーツカーテンからロールカーテンに変更された[10]。
- これら変更により自重は33.1tとなった[3]。
- 外部塗色は1次車同様ライトグレーをベースにしたが、1次車と異なりその他のJR北海道の一般車に準じたライトグリーンの太帯に青の細帯を配している[9]。これは3次車にも踏襲された。
3次車(0番台 11 - 17)

1・2次車から2年後の1995年(平成7年)に7両が函館本線の通称「山線」(長万部駅 - 小樽駅間)向けとして苗穂運転所に投入された。冷房装置を搭載したため、富良野線向けと同様0番台に区分されているが、以下の多岐にわたる改良がなされた[16][17]。このうち(※)を付した内容については従来車にも施工された(一部は1次車のみ)[18]。
- 側引戸に抑えローラーとそのガイドとなるステンレス製摺り板を設ける。
- 側引戸の窓を車外からのねじ止めから車内からのねじ止めに変更。
- 側窓カーテンは0番台と同様横引きであるが、プリーツカーテンから一般的なカーテンに変更。
- 旅客の頭部との接触を避けるためカーテンフックの位置を上方に移設し取付向き変更(※...1次車のみ)。
- 便所内換気口を大型化し位置変更。便器をステンレス塗装仕上げからステンレス無地に変更。
- 前面の尾灯掛けを溶接に変更。
- ジャンパ線位置を若干変更。
- KE53栓受に温水暖房、KE53栓納めに電熱ヒーターを追加(※)。
- 床下機関制御点検フタをL型ハンドルによる開錠に変更。
- ブレーキ装置関連の床下機器を1つの機器箱に収納。
- 床下手歯止めの設置位置を変更。
- 台車減速機支え装置を変更、ブレーキシリンダーの空気管保護カバーの形状を変更。形式をN-DT150B/N-TR150Bに変更。
- 床下消火器設置位置を1-3位側から2-4位側に変更(※)。
- 床下機関制御箱点検フタに小型開閉フタ(バッテリースイッチ投入用)を追加(※)。
- 運転席側前面窓ガラスに電熱温風式デフロスタ追加取付(※)。
- 助士席側前面窓ガラスに車両番号表記を追加(※)。
- 1次車については導入直後に貫通扉の桟板に「150-1」のように記入がされており、後年消去された[19]。
- ワンマン放送装置をカセット式からICカード式に変更(※)。
空気ばね式車体傾斜制御システム試験
1995年(平成7年)にキハ150-110を用いて空気ばね式車体傾斜制御システムの現車試験が行われ[19]、後年登場したキハ201系気動車、キハ261系気動車に反映された[20]。
この改造によりキハ150-110は台車周辺の空気配管に手が加わり、試験終了後の復元においても一部仕様が異なる状態となっていたが、2015年(平成27年)3月に、同型の台車を装備し2013年(平成25年)に廃車となったキハ160-1の台車を転用した[19]。この関係で同車のみ台車の製造名義がキハ160-1の製造元である新潟鐵工所となっている[19]。
電気笛追設
3次車は山岳区間での連続したブレーキ扱い・汽笛吹鳴により元ダメ圧力空気の消費量が多く、空気圧低下が走行にも支障をきたすようになった。このため、元ダメ圧力空気の使用削減を目的に、2000年(平成12年)7月からキハ150-15を用いて電気笛をスカート内に追設し試験を開始、その後3次車全車に施工されている[21]。
また、電気笛は音量低減効果があることから、旭川運転所が旭川駅の高架化に伴い旭川駅構内から住宅地が近い北旭川駅の旧旭川操車場仕訳線跡地へ移転することに伴い、1次車についても改造が2002年(平成14年)10月以降順次行われた[21]。
ATS-DN車上装置への換装
道内主要線区でのATS-DN設置に伴い、2010年(平成22年)度から2013年(平成25年)度にかけて順次換装された[22]。
半自動ドアボタン撤去
前述のように本系列には半自動ドアボタンが採用されていたが使用停止が続いていたため、2010年(平成22年)度から3次車を対象に車内外のドアボタンを撤去し跡地をステンレスカバーで塞ぐ処置がなされた[注 3]。その後、2015年(平成27年)度に1次車、2016年(平成28年)度に2次車も同様の改造がなされた[23]。
側面行先表示器のLED化・復元(キハ150-17)
2015年(平成27年)7月から翌年度にかけ、キハ150-17の側面行先表示器がLED式となっていた[23]。
乗務員扉手掛追設
乗務員室扉下部に手掛けを追加する改造が、2016年(平成28年)度から順次実施された[24]。
屋根上昇降用足掛け撤去
他の一般形気動車同様、2020年(令和2年)度ごろから、3位側側引き戸横の屋根上昇降用足掛けの撤去が行われた[25]。
前部標識灯の一部LED化
2022年(令和4年)度以降、上部の前照灯2灯をLED灯とする改造が実施されている[25]。
機器取換工事

2023年(令和5年)度から順次、全車を対象に機関・液体変速機の交換、ワンマン機器の更新(H100形気動車や737系電車と同等品に交換)が行われている[25]。
また、この改造に際して1次車と3次車は順次函館地区(函館運輸所)に転用されており、塗装は1次車のラベンダー色の帯に統一されている[25]。
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運用・現況
要約
視点
現況に至る経過
2020年(令和2年)まで
1次車は旭川運転所に配置され、富良野線を主に、根室本線富良野駅 - 帯広駅間の快速「狩勝」の旭川駅直通列車(富良野線内は通過駅のある普通列車として運転、2016年(平成28年)台風10号による東鹿越駅以東被災に伴い富良野駅以東乗り入れ中止)として使用された[26]。2017年(平成29年)ごろからはキハ54形と混用で留萌本線での運用もしばしばされるようになった[27]。
このほか石北本線では1994年頃まで、臨時快速「ホリデーきたみ」(旭川 - 北見間、土曜・休日のみ)でも使用されていた[28]。また、宗谷本線(旭川駅 - 比布駅間)での運用も見られた。
2次車は苫小牧運転所に配置され、キハ40形と共通で室蘭本線苫小牧駅 - 長万部駅間(室蘭支線含む)を中心に運用され[26]、のちに室蘭本線岩見沢駅 - 苫小牧駅間、函館本線岩見沢駅 - 滝川駅間、千歳線・石勝線千歳駅 - 新夕張駅間でも運用された[29]。
3次車は苗穂運転所に配置され、函館本線小樽駅 - 長万部駅間(通称:山線)を中心にキハ40形と共通で運用され、送り込みの関係で札幌駅 - 小樽駅間を営業走行していた[26]。
また、秋季から冬季は山線で落ち葉や積雪に伴う遅延を防止するため、2005年(平成17年)以降、苗穂運転所のキハ40形と苫小牧運転所のキハ150形を交換し、山線でキハ150形を集中的に運用していた[26]。
2020年(令和2年)以降の変遷
→「JR北海道H100形気動車 § 沿革」も参照
2020年(令和2年)3月14日改正ではH100形が苗穂運転所に配置され山線に投入され[30]、苗穂運転所所属の3次車は同年11月までに旭川運転所へ転属した。これにより、1・3次車は富良野線・留萌本線のほか、石北本線の特別快速「きたみ」とその間合い運用の普通列車にキハ54形と共通で運用されるようになった[29][28]。
続く2021年(令和3年)3月13日改正には苫小牧運転所と旭川運転所にH100形が投入され、苫小牧運転所所属の2次車は苫小牧駅 - 長万部駅間は苫小牧駅 - 糸井駅間の間合い運用を除き撤退した[29]。
2023年(令和5年)3月18日改正では、H100形が富良野線全列車に投入され[JR北 1][31]、旭川運転所所属の1・3次車は石北本線・留萌本線、間合い運用の函館本線のみの運用となり、順次機器取替工事を施工して函館地区への転属が進められた[29]。
2024年(令和6年)3月16日改正では石北本線の特急除く全列車がH100形化され[JR北 2]、4月1日には留萌本線の廃止縮小に伴い、旭川運転所所属車の運用が消滅した。また、岩見沢駅 - 滝川駅間の普通列車も一部除き737系電車で電車化されたため、苫小牧運転所所属車の岩見沢駅 - 滝川駅間での間合い運用も消滅した[32]。また、苫小牧運転所所属車は苗穂工場入場時、従来岩見沢駅経由で定期列車併結で回送されていたが、併結列車のH100形化により千歳線を北上して回送されるようになった[32]。一方で、6月より函館運輸所に転属した0番台(1・3次車)の運用が順次開始された[32]。
2025年(令和7年)3月15日改正では2次車の石勝線での運用がH100形に置き換わり、函館地区の普通列車もキハ150形によって全面的に置き換わった[32][33]。
現況
以下特記ない限り2025年(令和7年)4月1日時点での配置と運用である[34][32]。
旭川運転所
0番台1・3次車(8 - 10, 16, 17)が在籍しているが、定期運用はない。
函館運輸所
0番台1・3次車(1 - 7, 11 - 15)が在籍し、函館本線函館駅 - 長万部駅間(藤城支線・砂原支線含む)で運用されている。
苫小牧運転所
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その他
トラブル
2024年(令和6年)7月13日、大沼駅停車中の普通列車にて、ホームと反対側の扉が部分的に開くトラブルが発生した。本形式のうち16両が緊急点検を行うこととなり、トラブル当日と翌日に充当予定であった普通列車17本が運休した[35]。
車歴表
0番台
車歴表(キハ150形0番台)
100番台
車歴表(キハ150形100番台)
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改造歴
0番台
ワンマン放送装置ICカード化改造工事
ワンマンドア改修工事
気動車減速機支え装置構造変更
気動車制御用PLC装置取替
ATS未投入防止対策「入」定位化工事
100番台
ワンマンドア改修工事
気動車減速機支え装置構造変更
気動車制御用PLC装置取替
ATS未投入防止対策「入」定位化工事
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脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
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