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PlayStationのゲームタイトル一覧

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PlayStationのゲームタイトル一覧(プレイステーションのゲームタイトルいちらん)では、PlayStation対応として日本国内で発売されたゲームソフト全3,289タイトルの分割された一覧へのリンクおよび発売中止品を列記する。

PlayStation
ゲームタイトル一覧
(日本)
1994 - 1995 - 1996
1997 - 1998 - 1999
2000 - 2001 - 2002
2003 - 2004

発売ソフトの形態・変遷

要約
視点

ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)から1994年12月3日に発売されたPlayStationはライバルのセガサターンと同様に、本格的な3DCG表現を大きな特徴としている[1]。8つのローンチタイトルのうち7つがサードパーティー製である上ジャンルもレースからアクションRPGとさまざまであり、SCEの母体であるソニーが音楽ソフト事業で培ったノウハウを応用したことで、「全てのゲームは、ここに集まる」というキャッチコピーが示す通り、多彩なラインナップを実現できた見る向きもある[2]。中でも、テクスチャマッピングを採用した業務用レースゲーム『リッジレーサー』の移植版が大ヒットした[3]

当初、3DCGを取り入れた作品はアクションゲームが中心だった一方、人気ジャンルであるRPGではドット絵が主流だった[4]。その中で、これまで任天堂ハード向けにゲームを発売してきたスクウェアが1996年初頭にPlayStationへの参入を表明し、1997年1月31日に発売した『ファイナルファンタジーVII』は混乱防止の観点からコンビニエンスストアを中心とした販売体制[注釈 1]がとられ[6]、日本国内における累計販売本数が400万本を超えるほどの大ヒット作となった[7]。このほかにも、ナムコから発売された『ナムコミュージアム』には、同社の往年の名作ゲームが収録されており、のちに『アーケードアーカイブス』といった他社の復刻プロジェクトにも影響を与えた[8]。加えて、『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』(1997年3月20日)や[9]、『パラッパラッパー』(1996年12月6日)[10]のようにジャンルを開拓した作品もあった。

またPlayStationでは、『ときめきメモリアル』や『やるドラ』シリーズといったギャルゲーも人気を博した[11]。一方でSCEはアダルトゲームなどの成人向け要素を含むゲームタイトルの移植には慎重な姿勢をとり[12]、アダルトゲームメーカーから持ち込まれた移植企画を却下したり、PlayStationへ移植された際に作品名を変更することもあった。『ToHeart』のシナリオライターである高橋龍也はアダルトゲームの場合は原作の題名が使えなかったことを述懐した[13][注釈 2]

このようなPlayStation登場以前からゲームを開発してきた企業のほか、異業種から参入してきた企業もあった。たとえば、アーマード・コアシリーズで知られるフロム・ソフトウェアは祖業である業務用アプリケーション事業の行き詰まりから、当時の関係者が好きだったコンピュータゲームへの参入を考えたものの一度は断念していたところ、PlayStationの登場によりゲーム業界への参入を決めた[16]。他方、SCEから発売された『I.Q インテリジェントキューブ』は当時広告の分野で活動していた佐藤雅彦による持ち込み企画であり、当時のパズルゲームにはない世界観からヒット作となり[17][18]、ついには第2回 日本ゲーム大賞の優秀賞を受賞した[19]

SCEは開発者がうまく作れるようにするため、『リッジレーサー』の開発経験に基づいたソースコードなどを収録したマニュアルを提供していた[20]。同様の理由から、1995年から1999年までの5年間に、オーディション「ゲームやろうぜ!」を主催した[21]。この中から『XI[sai]』や『パネキット』などが商品化され、結果的にプラットフォームの活性化につながった[21]。これとは別に、SCEは1996年5月から数年間、ゲーム開発に関心のある一般のユーザーに開発環境を提供する『ネットやろうぜ!』というプロジェクトを展開していた[22]

欧州においては、1995年にローンチタイトルの一つとして発売された『レイマン』が大ヒットした[23]。発売元のユービーアイソフトはこれを元手に上場し、国際的なパブリッシャとしての第一歩を踏み出した[23]

ヒット作に恵まれた一方、課題も残った。まず、3DCGの描画を前提としていたPlayStation用ソフトの開発に際しては、従来の手法が通用しなくなることもあった[注釈 3]ほか、当時高価だった3DCG用の機材を導入できる会社は限られていた[25][注釈 4]。また、Batman & Robin英語版(日本未発売)のように、不十分な3DCG作成技術がゲームプレイに影響を及ぼしたケースもあった[26]。加えて、CD-ROMの性質上、ロード時間の長いソフトが珍しくなかった[27]。また、複数枚のディスクで構成されている作品の場合、入れ替えの方法によっては煩わしくなってしまうこともあった[注釈 5]

他方、ソフトの開発費の高騰も問題視された[注釈 6]。このうち、SCEは低予算の次世代RPGの企画を立て、『高機動幻想ガンパレード・マーチ』として2000年に世に送り出されたものの、それに必要な新技術の開発が長引き、当初の目標の達成にはいたらなかった[30][注釈 7]。一方、カルチュア・パブリッシャーズは、追加の開発費がほぼ不要なテーブルゲームを中心とした低価格帯の製品を企画し、日本債券信用銀行による支援の下、『SIMPLE1500シリーズ Vol.1 THE 麻雀』を発売し[31]、ヒット作となった。

他方、PlayStationでは改造ツールが広まり、SCE側も本体の改良版であるSCPH-9000で外部コネクタを廃止するなどの対応をとったが、その後、ディスクから本体にプログラムを読み込ませるタイプが出るなどいたちごっこが続いた[32]。こうした中、正規のソフト開発者による工夫が不正利用に転用できてしまう事態もあった。たとえば、Alien Resurrection英語版(日本未発売)の場合、ディスク入れ替えを想定したテストとして、バックアップディスクを読み込ませるための特殊なブートモードを起動できるシステムが組み込まれており、本体の改造や外部ツールがなくても海賊版などを起動できてしまう恐れがあった[33]

なお、SCEも他社ハードと同様に自社の倫理規定でソフトを判定しており、ソフトメーカーはそれぞれの規定に合わせて内容を調整する必要があった[34]。やがて彼らの間で独自の倫理規程による自主規制が求められるようになり、1995年11月に業界団体・コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が設立され、1997年4月にはCESAによる倫理規定が公布・施行された[34]。日本から他国に輸出される際に倫理的な理由で内容を差し替えられたり[注釈 8]、日本国外で開発された作品の中には日本向けに内容を差し替えた例もあった[注釈 9]

最終的に日本においてPlayStation用タイトルは2004年まで発売されたが、発売タイトル数は日本でこれまでに展開されたプラットフォームの中で最大であり、PlayStationはマニアではない一般プレイヤーを獲得したことで、2000年3月4日発売の次世代機であるPlayStation 2が普及するまで、事実上の業界標準機となった[12]。またPlayStation 2がPlayStationとの互換性を持つ[38]ことから、発売されたPlayStation用タイトルはPlayStation 2のスタートアップの一助になった。加えて、GUILTY GEARシリーズバイオハザードシリーズなど、PlayStation初作で人気を得てシリーズ化された作品は、プラットフォームが変わった後も継続的に新作を発売しており、他機種へのシリーズ展開または移植にあたっては、大元のシステムを置き換えた例もあった[注釈 10]

こうして発売されたタイトルは後年のゲームアーカイブスPlayStation Plus[40]といったダウンロードサービスなどを通じて様々なプラットフォームに展開された[注釈 11]ほか、PlayStation本体発売から24年後の2018年12月3日(24周年記念)には往年のヒット作を収録したPnP機PlayStation Classicが発売された[41][42]。また、『Dr.スランプ』や『レーシングラグーン』のように日本国内のみで発売された作品であっても、日本国外のファンが非公式の翻訳版を製作した例があった[43]

発売されたゲームソフトについては、以下の各項目を参照。

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発売されなかったソフト

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脚注

参考文献

関連項目

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