トップQs
タイムライン
チャット
視点

増田都彦

ウィキペディアから

Remove ads

増田 都彦(ますだ くにひこ、1965年9月25日 - )は、香川県出身のプロゴルファー

概要 増田都彦Kunihiko MASUDA, 基本情報 ...

父の増田光彦、兄の増田能成、妹の増田能子もプロゴルファー[1]。  

来歴

要約
視点

8歳からゴルフを始め、父・光彦と光彦の弟子である鈴木規夫[2]を師匠とし[3]1989年にプロ入りする[4]

1991年には'91NGAオープンで初優勝し[4]、父・光彦が解説したツアー時代最後の中四国オープン[5]原克己坂本義一と並んでの8位タイ[6]に入った。

1992年には松永カントリークラブでプロ・アマ・研修生により行われている「ミッドサマーオープン」[7]では3位[8]に入り、1994年PGAフィランスロピーでは3日目に67をマークして2日目33位タイから[9]桑原克典丸山茂樹西川哲デビッド・イシイアメリカ)と並んでの7位タイ[10]でスタートした。

1996年ダイドードリンコ静岡オープンでは初日を深堀圭一郎井戸木鴻樹海老原清治・坂本・芹澤信雄と並んでの7位タイ[11]でスタートし、1997年にはワールドウッドゴルフクラブカップで優勝[4]

1997年には最後の開催となった水戸グリーンオープンでは藤田寛之横山明仁松永公比呂と3アンダーで並んでのプレーオフまで持ち込み、2位タイであった[12]

1997年の久光製薬KBCオーガスタでは初日をブラント・ジョーブ(アメリカ)と共に5アンダー67の2位タイ[13]でスタートし、2日目も桑原・藤田と並んでの2位タイ[14]に着け、3日目には手嶋多一桑原将一木村政信宮本勝昌白浜育男中嶋常幸佐野修一真板潔と並んでの8位タイ[15]に後退したが、最終日には69をマークして[16]尾崎健夫と並んでの5位タイ[17]に入った。

2000年の久光製薬KBCオーガスタでは2日目に69をマークして[18]小山内護・井戸木・佐藤信人と並んでの9位タイ[19]、3日目にも小山内と共にフランキー・ミノザフィリピン)と並んでの9位タイ[20]に着けた。

2000年のファンケルオープンin沖縄では初日を金鍾徳韓国)・高木祐二平塚哲二野上貴夫加瀬秀樹宮里優作東聡と並んでの10位タイ[21]でスタートし、2日目には白潟英純と並んでの10位タイ[22]に着けた。

2001年マンシングウェアオープン KSBカップでは2日目の午前スタート時にぎっくり背中をやってしまい、痛みを庇うため、予定より番手を一つ上げての軽めのショットになったが、6番では手前5ヤードに落ち、ホールインワンを達成[23]。気分が良くなった増田は次のホールでもバーディを取ったが、当日はアマチュアの中土靖、江連忠も6番でホールインワンを達成[23]。ホールインワン賞300万円がかかっているホールは17番であり、該当ホール以外で達成した増田と江連にはコースとデサント瀬戸内海放送の3社より20万円が贈られた[23]

2007年のマンシングウェアオープン KSBカップ[24]を最後にレギュラーツアーから引退。

2014年の香川県オープンでは初日を首位と2打差の13位でスタートしたが、最終日にはパットに苦しみながらも安定したショットを武器に6バーディーを奪ってスコア4つを伸ばす[25]。14番のティーショットを左のカート道に打ち込むも幸運にもOBにならず、第2打をピン横7mに付けると、2パットでバーディー[25]。ベテランらしい落ち着いたプレーで乗り切ると、68で追い上げて9年ぶりの同大会2位に入った[25]

現在は綾歌郡綾川町でレッスン場「ゴルフスタジオkuni」を経営[26]

Remove ads

主な優勝

  • 1991年 - '91NGAオープン
  • 1997年 - ワールドウッドゴルフクラブカップ

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads