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岡村島
愛媛県今治市の島 ウィキペディアから
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岡村島(おかむらじま)は、瀬戸内海の中部にある関前諸島の島。行政上は愛媛県今治市に属する離島である[1]。
1959年(昭和34年)5月に離島振興法の離島振興対策実施地域に指定されたが、 今治市への合併後、2010年(平成22年)4月1日付で指定は解除された[2]。
基幹産業は第一次産業の農業や漁業である[1]。島の地質は花崗岩に所々で砂質土壌がみられ、秩父古成層地帯の角礫の含有量が極めて多いため、ミカン栽培に適している[1]。本州の広島県呉市と安芸灘とびしま海道(陸路)でつながっており、2024年現在、その終端である[3]。
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地理
今治港の北西約17キロメートルの位置にあり、大下島、小大下島とともに関前諸島を形成している。東の小大下島、西の大崎下島(広島県)に挟まれた形。関前諸島の中では一番面積が広く、人口も多く、関前諸島の中心と言える。大崎下島との間の御手洗瀬戸にはいずれも広島県に属する中ノ島、小島などがある。 山は、岡村の集落の北西背後に立つ甲ノ峰が最高峰。山頂近くにまで柑橘園が展開されている。
自然
クロツバメシジミの生息地が存在することで知られる。
社会
集落
行政区分
人口
2021年(令和3年)11月の時点の人口は約280人で過疎化が進んでいる[3]。2012年(平成24年)4月時点では409人[4]、240世帯だった。
学校

- 今治市立岡村小学校
- 今治市立関前中学校
歴史
- 古くから斎灘の海上交通の要衝にあたり、平安時代から空海や菅原道真らが立ち寄ったいわれがある。戦国時代には村上水軍の城砦が築かれた。江戸時代中期には隣島の大崎下島の御手洗港などとともに潮待ち港として栄えた。
- 1950年 観音崎が瀬戸内海国立公園に編入される。
- 1862年 岡村桟橋が完成
- 1995年8月1日 平羅橋(へいらばし)開通。安芸灘諸島連絡架橋の一つ。大崎下島広域農道(通称・安芸灘オレンジライン)の一つ。広島県側の大崎下島とつながる3つの橋の内最初に開通。
- 1995年8月29日 岡村大橋開通。安芸灘諸島連絡架橋の一つ(7号橋)。岡村島と広島県側の中ノ島との間に架かっている。農道としては珍しい、県境をまたぐ橋。
- 1998年11月6日 中の瀬戸大橋開通。中ノ島と西隣の平羅島との間の橋。これにて一連の3橋が開通し、岡村島は大崎下島と陸路でつながる。
- 2008年11月18日 豊島大橋(豊島-上蒲刈島)の開通。これにて本州と陸路でつながった。
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産業

農業ではレモンを含めた柑橘類が栽培されている。2017年に来島した地域おこし協力隊員が、「しま味噌」を復活させた[3]。漁業も営まれている。
交通

四国からのアクセスは、今治港から今治市営フェリーを使うのが一般的。広島県西部からは、呉市より安芸灘とびしま海道を利用して陸路で来ることができる。広島県東部以東からは、瀬戸内しまなみ海道を使って隣接する大三島に上陸し、大三島ブルーライン・今治市営渡船を使う方法がある。
- 岡村港全景
- 岡村島中心部
- 岡村島の路地
架橋

海上交通
フェリー 「第二せきぜん」が今治-岡村間を1日4往復(内3往復は小大下島・大下島に寄港)、旅客船 「とびしま」が今治港-宗方港-岡村港間を1日4往復する。2012年10月より宗方・木江とのフェリー航路が就航(宗方-岡村間は5往復)。
- 港
- 岡村港
- 白潟港
- 城ノ谷漁港
- フェリー「第二せきぜん」
- 旅客船とびしま」
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名所・旧跡・観光スポット

祭事・催事
出身著名人
脚注
外部リンク
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