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島上郡
大阪府(摂津国)にあった郡 ウィキペディアから
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島上郡(しまかみぐん)は、大阪府(摂津国)にあった郡。嶋上郡と表記することもある。

郡域
歴史
要約
視点
古代

701年(大宝元年)の大宝律令により、三島郡が三島上郡・三島下郡の2つに分けられて成立した。ほどなくして島上郡(嶋上郡)・島下郡(嶋下郡)と書かれるようになった。和名抄では「志末乃加美」とかかれており、その他の文献では「三島縣三島郡」「津國御島」との表記も見られる[1]。
- 「上郡」墨書土器
今城塚古代歴史館展示。
式内社
中世
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。幕府領は高槻藩預地。なお山崎村は歴史的に本郡の所属だが、隣接する山城国乙訓郡大山崎庄の一部とともに離宮八幡宮領であったため、寺社領廃止の際に所轄国郡が曖昧のまま京都府の管轄となった。明治4年に国境・府境を巡って山崎村の住民の訴えがあり、明治6年10月5日に大阪府管轄となることで決着した[1]。(61村)
幕末の知行

- 慶応4年
- 明治2年
- 明治3年(1870年)12月 - 高槻藩預地が兵庫県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年(1872年)8月 - 島上郡・島下郡にまたがっていた鮎川村の全域が本郡の所属となる。(61村)
- 明治6年(1873年)10月5日 - 山崎村が大阪府の管轄となる[1]。
- 明治7年(1874年)8月4日 - 磯島村の所属郡が交野郡に変更[1]。(60村)
- 明治8年(1875年)4月30日 - 大区小区制の大阪府での施行により、島上郡が第9大区となる。
- 明治12年(1879年)2月10日 - 郡区町村編制法の大阪府での施行により、行政区画としての島上郡が発足。郡役所が高槻村の旧高槻城内の会議所に設置。
- 明治14年(1881年)1月6日 - 郡役所が島下郡茨木村の島下郡役所に統合。島下郡役所が改称して「島上島下郡役所」となる。
- 明治22年(1889年) - 町村制の施行により、下記の各村が発足。特記以外は全域が現・高槻市。(11村)
- 富田村(単独村制)
- 如是村 ← 東五百住村、西五百住村、津之江村、芝生村、庄所村
- 三箇牧村 ← 三島江村、唐崎村、柱本村、西面村
- 高槻村 ← 高槻村、上田辺村
- 大冠村 ← 辻子村、東天川村、西天川村、下田辺村、西冠村、土橋村、野田村、野中村、中小路村、大塚村、大塚町、番田村
- 五領村 ← 梶原村、萩庄村、井尻村、鵜殿村、上牧村、神内村、前島村
- 清水村 ← 服部村、真上村、原村、萩谷村
- 芥川村 ← 芥川村、郡家村
- 磐手村 ← 安満村、下村、古曽部村、別所村、成合村、川久保村
- 島本村 ← 広瀬村、高浜村、桜井村、東大寺村、山崎村、尺代村、大沢村(現・島本町)
- 阿武野村 ← 氷室村、土室村、岡本村、奈佐原村、霊仙寺村、宮田村、赤大路村、塚原村、宿名村
- 鮎川村が島下郡三島村の一部となる。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「島上島下郡役所」が管轄する各郡の区域をもって三島郡が発足。同日島上郡廃止。
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行政
歴代郡長
施設
脚注
参考文献
関連項目
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