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源英明
平安時代前期から中期の貴族・歌人。斉世親王の長男。従四位上・左近衛中将、蔵人頭、伊予権守。母はあるいは天神御女。子に源堯時(因幡守、従五位上) ウィキペディアから
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源 英明(みなもと の ふさあきら/つねよし)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。宇多天皇の孫。上総太守・斉世親王の長男。官位は従四位上・左近衛中将。
経歴
昌泰4年(901年)の昌泰の変により、父・斉世親王が舅である菅原道真に連座して出家。それに伴い、幼年時代は不遇であった。
16歳で従四位下に叙せられ、翌年に侍従に任ぜられる。醍醐天皇の信任厚く、延喜23年(923年)右近衛中将、延長5年(927年)蔵人頭と要職を歴任した。延長8年(930年)醍醐天皇から朱雀天皇への譲位に伴って蔵人頭を辞する。承平元年(931年)宇多上皇が崩御すると以降は不遇で[1]、承平4年(934年)左近衛中将に遷るが、結局公卿への昇進は叶わなかった。
天慶元年(938年)7月頃から病となり[2]、翌天慶2年(939年)2月25日卒去[注釈 1][2]。最終官位は左近衛中将従四位上。
人物
父の真寂法親王が執筆していた『慈覚大師伝』を遺言として委ねられ、これを完成させた。清書を小野道風に依頼したが、装丁ができないうちに英明自身も没したという[4]。
漢詩に優れ「詩境には無限上手なり」と評された[4]。『扶桑集』『本朝文粋』『類聚句題抄』『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』『作文大體』『和漢兼作集』などに数十首の漢詩作品が採録されている[5]。家集『源氏小草』(全五巻)があったとされるが伝わらない[6]。不遇の詩人橘在列と親交があった。勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品1首が入集している[7]。
官歴
系譜
脚注
参考文献
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