トップQs
タイムライン
チャット
視点
源資信
従三位・非参議。出家 ウィキペディアから
Remove ads
源 資信 (みなもと の すけのぶ)は、鎌倉時代中期の公家。宇多源氏、従二位・源時賢の次男。官位は従三位・左近衛中将。
経歴
後鳥羽院政期末の承久元年(1219年)従五位下・侍従に叙任される。侍従を務めながら、文暦元年(1234年)正五位下、嘉禎4年(1238年)従四位下、延応元年(1239年)従四位上まで昇進する。仁治3年(1242年)ようやく左近衛少将に遷ると、寛元元年(1243年)正四位下、寛元2年(1244年)左近衛中将と近衛次将を務めながら昇進を重ねた。
人物
資信の実兄は後深草・亀山・伏見の3代にわたり天皇の郢曲師範を務めた源有資、岳父も雅楽師の藤原孝道。資信自身も和琴に優れていた[2]。
官歴
注記のないものは『公卿補任』による
- 承久元年(1219年) 8月16日:叙爵(従五位下)。12月13日:侍従
- 貞応2年(1223年) 正月27日:兼伊予介
- 嘉禄3年(1227年) 正月5日:従五位上
- 天福元年(1233年) 7月:飛騨守[3]
- 文暦元年(1234年) 12月21日:正五位下
- 嘉禎4年(1238年) 正月5日:従四位下。正月7日:侍従如元
- 延応元年(1239年) 10月28日:従四位上
- 仁治3年(1242年) 12月25日:左近衛少将
- 寛元元年(1243年) 7月27日:正四位下
- 寛元2年(1244年) 12月17日:左近衛中将
- 寛元4年(1246年) 2月23日:兼美濃守
- 建長2年(1250年) 正月5日:従三位
- 建長3年(1251年) 6月1日:出家
系譜
注記のないものは『尊卑分脈』による。
注釈
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads