Loading AI tools
トレミーの48星座の1つ ウィキペディアから
Delphinus | |
---|---|
属格形 | Delphini |
略符 | Del |
発音 | [dɛlˈfaɪnəs] Delfínus, 属格 /dɛlˈfaɪnaɪ/ |
象徴 | イルカ[1] |
概略位置:赤経 | 20h 14m 14.1594s - 21h 08m 59.6073s[2] |
概略位置:赤緯 | +20.9399471° - +2.4021468°[2] |
20時正中 | 9月下旬[3] |
広さ | 188.549平方度[4] (69位) |
バイエル符号/ フラムスティード番号 を持つ恒星数 | 19 |
3.0等より明るい恒星数 | 0 |
最輝星 | β Del(3.63等) |
メシエ天体数 | 0 |
確定流星群 | なし[5] |
隣接する星座 |
こぎつね座 や座 わし座 みずがめ座 こうま座 ペガスス座 |
α・β・γ・δの4つの4等星で形作られる菱型のことを、欧米圏では旧約聖書のヨブ記の主人公にちなんで「ヨブの棺 (Job's Coffin) 」と呼ぶ[6]。同じ星の並びを日本では「ヒシボシ(菱星)」と呼ぶ地方がある[7]。
α星の固有名「スアロキン (Sualocin)」とβ星の固有名「ロタネブ (Rotanev)」は、1814年にパレルモ天文台台長のジュゼッペ・ピアッツィが刊行した星表『パレルモ星表』の第2版で初めて使われた。これは『パレルモ星表』の編纂作業を指揮していた助手のニコロ・カチャトーレが自分の名前をラテン語化した Nicolaus Venator を逆から読んだものをそれぞれの固有名としたものである[6]。
2023年11月現在、国際天文学連合 (IAU) によって5個の恒星に固有名が認証されている[8]。
その他に以下の恒星が知られている。
いわゆる「メシエ天体」は1つもない[28]が、2つの球状星団がパトリック・ムーアがアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだ「コールドウェルカタログ」に選ばれている[29]。
いるか座の名前を冠した流星群で、IAUの流星データセンター (IAU Meteor Data Center) で確定された流星群 (Established meteor showers) とされているものはない[5]。
紀元前3世紀半ばにマケドニアで活動した詩人アラートスの教訓詩『ファイノメナ (希: Φαινόμενα, 羅: Phaenomena)』では、α・β・γ・δの4星が成す四角形を「4個の珠玉」と称えている[37]。帝政ローマ期の2世紀頃のクラウディオス・プトレマイオスの天文書『ヘー・メガレー・スュンタクスィス・テース・アストロノミアース (古希: ἡ Μεγάλη Σύνταξις τῆς Ἀστρονομίας)』、いわゆる『アルマゲスト』の中で、プトレマイオスが選んだ48個の星座の1つとされた[6]。いるか座に属する星の数は、紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネースの天文書『カタステリスモイ (古希: Καταστερισμοί)』や1世紀初頭の古代ローマの著作家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌスの『天文詩 (羅: De Astronomica)』では9個、プトレマイオスの『アルマゲスト』では10個とされた[38]。
19世紀イギリスの天文学者リチャード・アンソニー・プロクターは、星座名を簡略化するために Delphinus から Delphin に変更することを提唱した[39]が、世に受け入れられることはなかった。
1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Delphinus、略称はDelと正式に定められた[40]。
中国の天文では、いるか座の星々は二十八宿の北方玄武七宿の第三宿「女宿」に配されていた[41]。ε・η・θ・ι・κの5星は、熟れ過ぎて腐った瓜を表す星官「敗瓜」を成した[41][42]。これとは対照的に、α・γ・δ・β・ζの5星は、良い瓜を表す星官「瓠瓜」を成した[41][42]。
日本では、江戸後期の畑維竜(鶴山)の随筆『四方の硯』に
星象を見ることは農民よりくはしきはなし大和の國は水のとぼしき處なれば四月頃より夏中農民夜もすがらいねずして星象をはかり見て種おろしあるひは夜陰の露おきたるに苗のしめりをしり米穀の實のるとみのらざるとをあらかじめはかりしる事なりその星にからすきぼしひしぼしすばるぼしくどぼしなどようの名をつけて某の星は何時に何の位にあらはれ何時に何の方にかくるなどいひてその目つもりにてはかること露たかはじ—畑維竜、『四方の硯』月の巻[43]
紀元前3世紀頃の学者エラトステネースは著書『カタステリスモイ』の中で、ポセイドーンの妻になることを拒んで逃げたアムピトリーテーを探し出して連れ戻ったイルカを記念したもの、としている[6][38]。
紀元前1世紀頃の著作家ヒュギーヌスやオウィディウスは、紀元前7世紀頃の詩人アリオンにまつわる話を伝えている。アリオンがシチリア島や南イタリアの音楽会から故郷に帰る際、彼の持つ報酬に目がくらんだ船員がアリオンを殺害しようとした。アリオンは死ぬ前に琴を弾かせて欲しいと願い、船員たちはこれを許した。アリオンが弾き始めると、どこからともなくイルカの群れがやってきて、曲を鑑賞した。アリオンが身を投げると、イルカがその背にアリオンを乗せて故郷に連れ帰った。イルカはその功績が称えられ星座になったとされる[6][38][45]。
またヒュギーヌスは、アグラオステネースの『ナクソス誌 (Naxica)』で語られた話として、以下のディオニューソスにまつわる話を伝えている。ディオニューソスがまだ幼かった頃、ティレニア人の船頭たちは彼をナクソス島に連れて行き、そこでニュンペーたちに託した。船頭たちは船で立ち去ろうとしたが、それを察したディオニューソスはニュンペーたちに歌を歌わせて彼らを魅了させた。船頭たちは踊り、飛び跳ね、知らず知らずのうちに海に身を投げて、そこでイルカに姿を変えられてしまった。ディオニューソスは彼らのことを人の記憶に留めるため、イルカの姿を星々の間に置いた[38][45]。
世界で共通して使用されるラテン語の学名は Delphinus、日本語の学術用語としては「いるか」とそれぞれ正式に定められている[46]。
明治初期の1874年(明治7年)に文部省より出版された関藤成緒の天文書『星学捷径』では「デルビニュス」という読みと「
日本では、α・β・γ・δの4星を「ヒシボシ」と呼ぶ伝承が、静岡・長野・奈良・和歌山・広島・大分・熊本に伝わっていた[7][44]。また、これが転訛したとされる「ヘシボシ」が奈良県宇陀郡大宇陀町上片岡(現・宇陀市)や兵庫県神崎郡に、「シシボシ」が奈良県山辺郡丹波市町(現・天理市)に伝わっていた[7]。
α・β・γ・δが作る菱形を生活道具等に見立てる例も見られる。たとえば、納豆を入れる藁苞に見立てた「ツトボシ(苞星)」という呼び名が静岡県榛原郡白羽村(現・御前崎市)、小笠郡日坂村(現・掛川市)、愛知県知多郡日間賀島村(現・南知多町)に伝わっていた[7]。また、これを織物を織るときの道具である「梭」に見立てた「ヒボシ(梭星)」という呼び名が熊本県上益城郡甲佐町に、「ヒノホシサン(梭の星さん)」という呼び名が徳島県鳴門市に伝わっていた[7]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.