Loading AI tools
ウィキペディアから
『キンキンのルンペン大将』(キンキンのルンペンたいしょう)は、1976年公開の日本映画。
本作は「網走番外地シリーズ」といった任侠アクションものや『徳川いれずみ師 責め地獄』といった異常性愛路線作品で有名な石井輝男監督が撮った数少ない喜劇映画である[1]。
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
うだつの上がらない男、二宮(愛川)は、妻の君子(三島)が毎日のように口うるさく自分を咎めるので、一念発起し山形県から上京するが、一日にして金を失ってしまう。上野の山にたどり着いた彼はルンペンたちに出会う。もともと疎外されがちだった彼は、ルンペンたちのまとめ役である遠藤大五郎の厚意に甘える。ある日、彼は白川秋子という女性と親しくなるも、ルンペンであることを打ち明けられず、靴問屋の住み込みの職を得る[1][3]。
1976年年頭1月7日の東映記者会見で、岡田茂社長が発表した1976年の製作方針では、ここの枠は岡田が企画していた今東光原作・由美かおる主演による『こつまなんきん』と発表されていた[4][5][6][7]。同作は前年、『五月みどりのかまきり夫人の告白』がヒットしたことから、五月みどり主演第二弾として公表されていたが[8]、五月は『首斬り浅』(『毒婦お伝と首切り浅』)にスライドされ(出演せず)[4]、途中から岡田お気に入りの由美に主演を変更しポルノ度の強いものを構想したが[5]、映画化されなかった[4]。
企画は愛川欽也[1][3]。東映東京撮影所(以下、東映東京)の企画部長・天尾完次は東映京都撮影所時代に、岡田、石井と組んで異常性愛路線を推進したことがあり[9]、また石井と組みたいと希望していた[1]。岡田社長の命令で[10]、鈴木則文とともに[10]、岡田が閉鎖の構想を持っていた[11]東映東京の徹底的なテコ入れのため[10]、刺客として東映東京の企画部長として送り込まれ[10]、天尾・鈴木のコンビで手掛けた「トラック野郎シリーズ」の大当たりで大きな成果を上げた。トラック野郎の企画を東映に持ち込んだのが愛川で、その功績から愛川が不遇時代にチャップリンの『街の灯』をベースに書いていたシナリオが映画化されることなった[1][3]。
石井は「キンキンが張り切りすぎて、最初は自分のテレビの仲間で作ろうとして、テレビでコントを書いている人を集めて企画を持って来たけど、キンキンに『気持ちは分かるけど、これはダメだよ、映画としては成立しないよ』などと諭し、こちらでホンをまとめて、愛川も了承した」と話している[1]。ルンペン役として出演する林光一をアドバイザーに起用[1]。林はルンペン生活の体験をもとに『ルンペン学入門・放浪の詩』などの本を出していた[1]。
本作は主演の愛川だけでなく、脇を固める俳優陣も、殿山泰司、和田アキ子、せんだみつお、毒蝮三太夫といった豪華な顔ぶれとなっている。 また、ヒロイン・坂口良子は本作が映画デビュー作である[12]。
"打倒寅さん"を長年の悲願として挙げた岡田東映社長が[13]、「寅さん」を追い潰すために、なりふり構わず体当たりを決意して1976年上半期に敷いた悪名高き"健全喜劇・スポーツ映画路線"で[14][15]、石井輝男監督が撮らされた無残な一本と山根貞男は評している[15]。
斎藤正治は「ルンペンになっても、なぜか次々に職にありつく小才。この不況時代によくもまあ、という感すらするほど、職探しに長けている。つまりこの主人公には、ルンペンに徹する志がないのである」と評した[1]。
本作の公開後である1976年6月5日には、TBS『8時だョ!全員集合』にて、ドリフターズのメンバーがホームレスに扮した「ドリフのルンペン大将」という前半コントを放送していた。[16]
ビデオソフトは一般家庭にビデオが普及する前の1981年頃、東映芸能ビデオから4万9000円で発売されたことがある[17]のみで、その後一切再発売されていない。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.