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湯原昌幸
日本のタレント、俳優 (1947-) ウィキペディアから
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湯原 昌幸(ゆはら まさゆき、1947年3月5日 - )は、日本の歌手、俳優、レポーター、司会者、パネラーなどをこなすマルチタレント。本名は桜井 昌幸。茨城県牛久市出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学芸術学部放送学科中退。血液型B型。 妻は、タレント・女優・歌手の荒木由美子。所属事務所はハブ・マーシー。
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略歴
- 江東区立深川第六中学校時代に劇団ひまわりの門を叩くが、高校受験のために中途断念している。
- 銀座ACBの新人コンクールに合格した後に、東京音楽学院でボーカルを学んでいる。
- 1964年、『ホイホイ・ミュージックスクール』(日本テレビ)への出演がきっかけで、東洋企画に入社。バンド『スウィング・ウエスト』に入り、ボーカルとして歌の腕を磨きながら、MCも担当する。
- 1970年、スウィング・ウエスト解散後に『見知らぬ世界』でソロデビューするが、売り上げは上がらず、家業の手伝いや、ジャズ喫茶出演で生計を立てていた。
- 1971年カワハラ企画に移籍後、ソロデビューから2枚目のシングルで、スウィング・ウエスト時代のヒット曲のリメイク、『雨のバラード』がオリコンチャート1位、62万枚のセールス[1]、累計120万枚の大ヒット[2]。一躍、歌手として脚光を浴びる。しかし、その後は本業としていた歌手としての人気が低迷。数々の曲を発表したものの、『北の盛り場』がややヒットしたのを除き、なかなか売れない時期が続く。
- 軽快なMCの経験を生かし、コメディアンにも挑戦。30分の間に30曲分のショートコントを一挙に放送する『せんみつ・湯原のドット30!』(TBS)などに出演しお茶の間の人気者になる。『ドット30!』でのせんだみつおとのコンビは大人気を博し、後に明星食品のラーメンのCMに共演する事になる[注釈 1]。その一方で、スウィング・ウエスト時代から手がけている作詞・作曲の腕を生かし、せんだに“加山雄三調”のシングル曲「高原の二人」を提供した(作曲のみ)。また、ペンネームの穂波唯名義で自身の楽曲制作や楽曲提供を行っている[3]。
- その後は、俳優として数々の映画やテレビドラマに出演する一方、『うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)や『ザ・スターボウリング』(テレビ東京)などで司会者としても活躍。また『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)のパネラーやレポーター、『わくわく動物ランド』(TBS)のパネラーとしても活躍し、どんな仕事にも対応できる器用なマルチタレントとして重宝される。
- 1983年、タレントで女優の荒木由美子と結婚。36歳にして当時23歳の美女・荒木と結婚したことで、世間から羨ましがられていた。
- 2003年、本業である歌手として『冬桜』を発表。歌詞の内容が団塊の世代に受け、有線放送から火がつき、CDの出荷数が徐々に増していき、数年かけてCD出荷総数が10万枚を超すロングセラーとなり、現在でも有線放送では欠かせない曲となっている。
- 2004年、『冬桜』にて、第37回日本有線大賞・有線音楽優秀賞を受賞。
- 2006年2月、新曲『都忘れ』を発表。
- 2007年10月、新曲『柚子』を発表。
- 2008年7月、『人生半分』『冬桜』など一連の楽曲の作曲者でもあるすぎもとまさとと結成したユニット“ルービー・ブラザーズ”として「ふたりで竜馬をやろうじゃないか」をリリースした[4][注釈 2]。
- 2009年11月、妻・荒木由美子との共著「夫婦力」を出版。同年12月11日、『徹子の部屋』へ荒木と共に夫婦揃って出演。
- 2013年、レコード会社をこれまで在籍していたアップフロントワークスからテイチクエンタテインメントへ移籍。
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ディスコグラフィ
シングル
- 「穂波唯」は湯原のペンネーム。
デュエット・シングル
企画シングル
- ルービー・ブラザーズ名義(湯原昌幸・杉本眞人)
- 湯原昌幸&The Swing West名義
- ダニーボーイズ名義(湯原昌幸・南部なおと)
アルバム
タイアップ曲
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楽曲提供
- 大信田礼子
- 『あの愛をもう一度』(1972年、作曲)
- 松鶴家千とせ
- 『或る雨の詩』(1976年、作曲)
- せんだみつお
- 『高原の二人』(1977年、作曲)
- 福田みのる
- 『あまのじゃく』(2020年、作詞・作曲)
- 『男の砂時計』(2023年、作詞・作曲)
- レイジュ
- 『手相』(2022年、作曲)
出演
テレビ番組
- ABOBAゲーム
- シャボン玉こんにちは
- ’75びっくり人間登場
- 湯原昌幸のプレイメイツ!!
- お笑いマンガ道場
- 湯原・弓奈のドット!通販
- 静岡発そこ知り
- ウッティな木曜日
- 金曜10時!うわさのチャンネル!!
- 社長かヒラか!ハイ&ロー
- シャープ・スターアクション
- リビング11
- せんみつ・湯原ドット30
- さかなちゃん
- ザ・スターボウリング
- なるほど!ザ・ワールド
- テレビ探偵団
- わくわく動物ランド
- ザ・チャンス!
- 欽ドン!
- 飛べ!孫悟空
- ことしの牡丹はよいぼたん
- チバテレビカラオケ大賞21 - 司会
テレビドラマ
- 同棲時代
- 水戸黄門
- 夜明けの刑事
- 西部警察
- 噂の刑事トミーとマツ 第65話「しばしお別れ、トミマツ大サービス」- 丸山修治
- ギョーカイ君が行く!
- その時、妻は2
- ドラマ愛の詩・エスパー魔美 第7話「カムバック大作戦」 - 任紀高志
- ひまわりの歌 第1話「ミステリーな僕の生れ」
- うちの子にかぎって… 第3話「禁じられたアソビ」・第7話「ちいさな恋のものがたり」 - 西川正夫
- 天まであがれ! 第20話 - 山崎五郎
- 銭形平次
- 事件ファイル110 甘ったれるな 第5話 - 中谷巡査
- 大都会25時 第2話「独身刑事の父子ゲーム」
- 南町奉行捕物帖 怒れ!求馬 - 為吉
- 大江戸を駈ける! - 為吉
ラジオ番組
映画
- にっぽん美女物語(1974年)
- にっぽん美女物語-女の中の女(1975年)
- がんばれ!若大将(1975年)
- 激突!若大将(1976年)
- トラック野郎シリーズ
- トラック野郎・御意見無用(1975年)
- トラック野郎・男一匹桃次郎(1977年)
- けんか空手 極真無頼拳
- 男の腕だめしシリーズ
- キンキンのルンペン大将(1976年)
- 坊っちゃん(1977年)
- 男はつらいよ 翔んでる寅次郎(1979年)- 旅館の若旦那 役
- ピーマン80(1979年)
- 二百三高地(1980年)
- 野菊の墓(1981年)
- 誘拐報道(1982年)
- GSワンダーランド(2008年)手島清宣(TV番組の司会者)役で出演。
CM
舞台
- ゆめ花火(座長公演)
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人物
趣味
- 作詞、作曲、ゴルフ、釣り、スキー など
結婚後の私生活
湯原は、母・吉の(よしの)と母子で生活していたため、荒木由美子は湯原との結婚と同時に芸能界から引退し専業主婦になり(1990年代まで主婦タレントとしてCMなどに出演することはあった)、母と同居することになる。結婚して2週間後、母が糖尿病からくる足にできた血栓のため入院。退院後は荒木による食事療法が始まったが、5年後の1988年、幼稚園児になっていた長男が、母の奇行を荒木に告げ、湯原の耳にも入る。病院での検査の結果、母は認知症であることが判明。ここから湯原・荒木夫妻のすさまじい介護生活が始まる。
母の介護は主に荒木が担当するも、症状が日に日に悪くなっていく毎日であるため、湯原も仕事場では笑顔であるが心労が隠し切れない日々が続く。帰宅すれば「生き地獄」「壮絶」という言葉しか当てはまらないほど、母の認知症は悪化していた。あまりの症状の悪化で、精神的に滅入っていた湯原が母の首に手をかけるところまでいくが、荒木の悲痛な叫びによって最悪の事態を免れる(荒木談)。自宅での介護を諦めて、荒木が母を連れて紹介された介護施設を訪れるが、そこは精神科の施設で、窓に鉄格子が取り付けられている施設だったため、さすがの荒木も「あまりに可哀想…」と、母を連れて自宅へ戻る。
その後、母は病院に入院することになるが、転院のたびに病状は悪化。認知症との壮絶な闘いは14年間続くも、その間、湯原は荒木に対し常に「由美ちゃん、ありがとう」「悪いね」といった感謝の言葉を欠かさなかった。そして2003年1月、母は急性白血病で死去。母が意識をなくす3日前には認知症であるとは思えないほど、嫁である荒木に感謝の言葉をかけ、長男にも「昌幸にそっくり」などと、まもなく訪れる最期を知らせるかのように、夫妻と長男の3人にやさしい言葉を残した。
母が死去したことで、結婚して2週間後から始まった夫妻の壮絶な20年間の介護生活は幕を閉じる。荒木は母の死去で生きる気力を一時失うが、2004年、母の20年間に渡る壮絶な介護生活を執筆した『覚悟の介護―介護20年 愛と感動の家族物語』[6]の発売を機に、20年ぶりに芸能界へ本格復帰。湯原も「冬桜」のヒットで各方面からの出演依頼があり、結婚20年目にして、歌手として初めて荒木と夫婦揃っての共演を果たす。
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近況
芸能界のおしどり夫婦として、旅番組やテレビショッピングなどに多数出演している。先述の荒木の著書が話題になり、荒木が介護体験を語る福祉番組に出演する際にはゲスト出演することもある。2008年11月公開の『GSワンダーランド』で、久々に映画にも出演。
本業の歌手としても、2006年2月、約3年ぶりの新曲『都忘れ』をリリースした。翌2007年5月30日には、ミニアルバム『途中駅〜Never Ending Life〜』を発表、その収録曲である『千年の旅人』は、芸能界デビュー時はアイドル歌手だった荒木との初のデュエットソングである。また6月10日には『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ系列)に夫婦で出演。20年にわたる実母の介護生活などの想い出を、2人は涙ながらに語っていた。
脚注
関連書籍
関連項目
外部リンク
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