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加藤治子

日本の女優(1922−2015) ウィキペディアから

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加藤 治子(かとう はるこ、1922年大正11年〉11月24日 - 2015年平成27年〉11月2日[1])は、日本女優血液型はAB型。

概要 かとう はるこ 加藤 治子, 本名 ...
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来歴・人物

東京市赤坂区(現東京都港区)に、呉服問屋の娘として生まれる。

松竹少女歌劇学校を経て、1937年、御舟京子(みふね きょうこ)の芸名松竹少女歌劇団に入る。同期には、後の男役トップスター・小月冴子曙ゆり並木路子矢口陽子(後の黒澤明夫人)、月城彰子(後の十代目・岩井半四郎夫人)などがいた。1939年には東宝に迎えられ、『花つみ日記』で映画デビューする。榎本健一の相手役など数本の映画に出演した。

1941年慶應義塾大学の学生だった加藤道夫芥川比呂志らが結成した新演劇研究会(解散するが、戦後に麦の会として再出発)に入団。1946年、加藤道夫と結婚し、本名の瀧浪治子から加藤治子に改姓[2]。麦の会は1949年文学座に合流し、以降は主演級で活躍した。

1963年には芥川、高橋昌也高木均岸田今日子らと劇団雲の創立に参加した(1975年に退団)。

1964年、『七人の孫』で母親を演じ、森繁久彌らと共演。以後、ホームドラマでの母親役を当たり役にして人気を集める(新御三家と呼ばれた郷ひろみ西城秀樹野口五郎の母親役も演じている)。

共演はいしだあゆみ樹木希林平田満との組み合わせが多かった。

向田邦子久世光彦とは公私ともに親しく、向田作品では常連出演者かつキーマン役を務め、女の業を滲ませた役も演じた。ほか、篠田正浩作品にも常連起用されていた。

1994年から2009年までは『浅見光彦シリーズ』(TBS系)に浅見雪江(光彦の母)役でレギュラー出演していた。2002年の第17作「鬼首殺人事件」では、元夫の高橋昌也と共演している。

晩年までコンスタントに作品を選ばずに出演(映画における遺作は『おとうと』、テレビドラマでの遺作は『魔術はささやく』)。

私生活では加藤道夫と結婚するも1953年に死別、1958年には高橋昌也と再婚するが、1973年に離婚している。

2015年11月2日月曜日)午前7時7分、心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去[1]。92歳没。

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出演

映画

テレビドラマ

NHK総合

日本テレビ系

TBS系

フジテレビ系

NETテレビ→テレビ朝日系

テレビ東京系

WOWOW

ラジオドラマ

  • 上海幻影路(1983年11月13日、TBSラジオ) - ハル

舞台

劇場アニメ

吹き替え

CM

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受賞歴

著書

脚注

外部リンク

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