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日本の政治家 ウィキペディアから
中村 寅太(なかむら とらた、1902年8月3日 – 1978年2月14日)は、日本の政治家。
運輸大臣、国家公安委員会委員長、行政管理庁長官を歴任。
現在の福岡県糸島市志摩の農家に生まれる。農業の傍ら、中野正剛の門下生となり、同志を集めて「糸島又新会」を結成、普選運動に挺身する。1933年糸島農学校を卒業後、福岡県産業組合(現在の農協の前身)に入り、1938年主事となる。1942年県農業会主事。終戦後農業会を辞職し、「農民青年連盟」を結成、書記長となる。
1947年第23回衆議院議員総選挙に同連盟から旧福岡1区にて立候補し、45,889票を集めて2位当選する(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘など)。当時は新聞紙上で「大番狂わせ」などと騒がれた。以後当選10回。
1949年農民協同党の結成に参加し、書記長となる。1952年には改進党に合流し党副幹事長。保守合同後は三木武夫派に所属し、法務政務次官、衆院懲罰委員長等を経て、1965年第1次佐藤第1次改造内閣にて運輸大臣として初入閣、新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設予定地の決定に携わる(→成田空港問題)。1971年には第3次佐藤改造内閣で行政管理庁長官兼国家公安委員会委員長として再入閣する。
1972年の自民党総裁選においては福田赳夫を支持し、早川崇・菅野和太郎らとともに三木派を離脱した。1976年政界引退。1972年勲一等旭日大綬章受章。1978年2月14日死去。享年75。
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