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第3次佐藤内閣 (改造)
日本の内閣 ウィキペディアから
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第3次佐藤改造内閣(だいさんじさとうかいぞうないかく)は、佐藤栄作が第63代内閣総理大臣に任命され、1971年(昭和46年)7月5日から1972年(昭和47年)7月7日まで続いた日本の内閣。
概要
この第3次佐藤改造内閣は、佐藤栄作政権最後の改造人事となった。
この内閣でのトピックスとして、
- 第1次ニクソン・ショックで、ニクソン大統領が中華人民共和国を翌年訪問することを突然発表した。
- 第2次ニクソン・ショックによる、ブレトン・ウッズ体制の終了に伴うドル=円の固定相場制(1ドル360円)が崩壊し、いったん変動相場制へ移行し、年末にスミソニアン協定を結び、再び固定相場制に戻り1ドル308円となった。
- 昭和天皇・香淳皇后の欧州歴訪(日本の歴史上、初となる天皇の外遊)の実施:1971年(昭和46年)9月27日~10月14日。
- 第11回冬季オリンピック札幌大会開催:1972年(昭和47年)2月3日~2月13日。
- あさま山荘事件を始めとする、連合赤軍による一連のテロ・ゲリラ事件発生。
- 「沖縄返還」:アメリカ合衆国から日本国への沖縄諸島及び大東諸島の施政権返還(沖縄返還協定の発効)の実現:1972年(昭和47年)5月15日
が挙げられる。
1972年(昭和47年)6月15日に内閣不信任決議が否決されたが、国会が終了した6月16日の翌日自民党両院議員総会で内閣総理大臣及び総裁を辞することを明らかにした。そして後任の総理総裁が田中角栄に決まった後の7月7日に内閣総辞職をした。
佐藤栄作は1970年(昭和45年)10月に自由民主党総裁選挙で四選されて、任期はこの年の10月で満了となる予定になっていた。前任の池田勇人から後継指名を受けて総理・総裁になった佐藤は、その間に福田赳夫に禅譲する心積もりであった。しかし自派から田中角栄が総裁選へ立候補する動きが活発となり、後継者を指名することなく、自ら成し遂げた沖縄返還を花道にして退陣した。
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内閣の顔ぶれ・人事
要約
視点
国務大臣
内閣官房副長官・内閣法制局長官・総理府総務副長官
政務次官
前内閣の政務次官が1971年(昭和46年)7月9日に退任し、同日付で新たな政務次官を任命した。
- 法務政務次官 - 村山達雄
- 外務政務次官 - 大西正男
- 大蔵政務次官 - 田中六助・船田譲(参)
- 文部政務次官 - 渡辺栄一
- 厚生政務次官 - 登坂重次郎
- 農林政務次官 - 伊藤宗一郎・佐藤隆(参)
- 通商産業政務次官 - 稲村佐近四郎・林田悠紀夫(参)
- 運輸政務次官 - 佐藤孝行
- 郵政政務次官 - 松山千恵子
- 労働政務次官 - 中山太郎
- 建設政務次官 - 藤尾正行
- 自治政務次官 - 小山省二
- 行政管理政務次官 - 岩動道行(参)
- 北海道開発政務次官 - 上田稔(参)
- 防衛政務次官 - 野呂恭一
- 経済企画政務次官 - 木部佳昭
- 科学技術政務次官 - 粟山ひで
- 環境政務次官 - 小澤太郎
- 沖縄開発政務次官 - 玉置和郎(参):1972年(昭和47年)5月15日 -
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参考文献
関連項目
外部リンク
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