Loading AI tools
日本の政治活動家 ウィキペディアから
又吉 イエス(またよし イエス、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 2018年〈平成30年〉7月20日[2])は、日本の政治活動家、宗教家、教育者。世界経済共同体党代表で、本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称してイエス・キリストを謳い[3]、政治活動などを行った。
沖縄県宜野湾市で、雑貨店の5人兄弟の末子として生まれる[4]。1963年に琉球政府立普天間高等学校を卒業、1968年に中央大学商学部を卒業したのちに、東京の商社や設計事務所で勤務した[4]。兄の又吉辰雄は元沖縄県総務部長と宜野湾市助役を務めた。
その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた[4]。1990年代半ば、故郷である宜野湾市大山の海岸の埋め立て計画への反対運動に参加していたが、願い叶わず、その海が埋め立てられていく場面を見る中で、「これからは自分が神として政治を直接みる時期が来た」と感じるようになり、自らをイエス・キリストだとする「再臨宣言」を行い、政治活動を開始した[4]。
1996年に起こった在ペルー日本大使公邸占拠事件の際には、ゲリラとペルー政府を説得するために沖縄県からペルーに駆けつけた。この際、当時沖縄県政策調整監であった兄の辰雄も情報収集のためペルー入りしていた。1997年に世界経済共同体党を設立、同党代表を務める。
1997年の宜野湾市長選挙に立候補したのを皮切りに、沖縄県知事選挙(2回)、2001年の宜野湾市長選挙、2002年の名護市長選挙に立候補するがいずれも落選。少なくとも1998年の参院選までは「又吉イエス」名義を使用しておらず、選挙公報では本名(マタヨシ光雄)や「神イエス=又吉光雄」などと表記していた。2002年の沖縄県知事選挙の際、「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか」と主張した[要出典]ものの落選し、その言葉通り2003年に世界経済共同体党本部を東京に移した。
2003年の第43回衆議院議員総選挙では東京都第1区から立候補し、2004年の第20回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補したがいずれも落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙の際も東京1区から出馬するが落選。2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補、落選するも新党フリーウェイクラブの和合秀典を上回り、10度目の選挙にして初の最下位脱出を果たす。
選挙公報や選挙ポスターにおいて、「又吉イエスは唯一神である」、「対立候補は腹を切って死ぬべきである」などと公言し、過激な文面が並ぶ事から、2ちゃんねるなどの電子掲示板や個人ニュースサイト等で話題になった。また、2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、活動を行っている。また、時折都内で街宣車を走らせており、又吉の甲高く抑揚をつけた声の演説テープが流される(党公式ホームページでも聴取可能)。
2008年9月5日に第45回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補することを表明、2009年表明どおり立候補、結果は9人の候補者中8位・718票で落選する。2010年7月実施の第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するが、4,900票にとどまり落選。しかし、和合秀典(上述)や「新党本質」の佐野秀光らを破り24人中20位と、前回2007年の参議院選に比して最下位からは遠ざかった。2012年12月4日、第46回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補[5]するも、落選。2013年7月4日、第23回参議院議員通常選挙に東京選挙区から出馬したが落選した。2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙にも東京1区から立候補するも落選。
2013年の参院選の最中、サンケイスポーツ紙に又吉の短いインタビューを含む記事が掲載されたが、ここに「今回で資金が底をつきました」と書かれており[10]、ネット上で引退宣言かと騒がれた。しかし、数日後に出演したニコニコ生放送の番組において、「さらに別の(売却できる)土地を所有しており、今後も出馬をする」と話し、引退説を否定した。なお、サンケイスポーツに対してはそれについても話したが、意図的に記事には書かれなかったとした[11]。また、東京スポーツの取材に対しても、引退を否定している[12]。
2018年6月30日、健康状態悪化のため、政治活動引退をホームページで発表[13]。サイトも10月末に閉鎖するが唯一神の名称および存在は従来通りとしている[13]。
同年7月20日に左腎癌により死去したことが世界経済共同体党より7月23日に発表された[2]。74歳没。
又吉イエスが1997年に「世界経済共同体」を目指すため設立した政治団体。宗教団体でないため、党として宗教的な活動は行っていない。
東京都新宿区下落合にある雑居ビル4階に党本部がある。又吉代表が沖縄県で活動していた時期には、宜野湾市に党本部があった。2004年9月18日に世界経済共同体党公式ウェブページを立ち上げ、ネット上でも活動を行っている。以前は又吉代表とその妻のほとんど二人三脚状態で党の活動を行っていたが、又吉代表の知名度が上がったためインターネットを通じて関心を持った若者たちが集まり、ボランティアとして党の活動を支えるようになった[14]。かつては毎月第一・第三土曜日に懇親会が行われ、定期的に興味を持った人たちがアポ無しで訪れていた。
活動資金は又吉代表が所有する普天間基地内の補償金[注 1]や支持者の寄付から捻出している。又吉代表は政治活動費や自身の生活費を一円単位で詳細に公表しているため、党の財務状況は公式サイトから確認することができる。
2018年6月30日、公式サイトにて又吉代表の体調不良による政治活動の停止と共に、党の政治活動を停止することが発表された。同年10月末をもって党公式サイトは閉鎖され、掲載されていたコンテンツの一部は、生前の又吉代表公認の上で関係者により作成された「唯一神又吉イエス主義を後世に伝える会」のページに移行している。
なお切腹して死ぬべきだというのは「責任を取れ」というニュアンスだという。ジョージ・W・ブッシュに対しては、アメリカには切腹の風習が無いため「ギロチンで首を落として死ぬべきだ」としている。また「元来切腹という行為は侍のけじめの儀式である」ことから、「女性には腹を切るべきであるとは言えない」としており、例として2009年の衆議院選挙では幸福実現党の田中順子に対して「当然死ぬべきである」としながらも「腹を切って死ぬべき」とはしていない[16]。2017年の衆院選では「腹を切って死ぬべき」の文言はなく、対立政党に対して「嘘政治・嘘政党である」としたが、こうした発言をやめたのではなく、選挙の準備が間に合わず、切腹を勧告する対立候補の名前をポスター入稿の締切までに確定できなかったことが理由であった[17]。
政見放送でもその過激な文言が頻出し話題になったが、2007年の参議院選挙以降は自身の経済政策を述べる穏健な内容に変化した。
本名は「又吉 光雄」であるが、政治活動時は片仮名表記で「マタヨシ 光雄」として立候補していた。その後、「又吉 イエス」名義で立候補するようになった。2003年に発行した自著の奥付によれば、著者名は「唯一神又吉光雄・イエス・キリスト」[26]と表記されており、振り仮名として「ゆいつしん またよしみつお・いえす・きりすと」[26]と併記されていた。また、同書の著作権表示の英語表記は「The only God Mitsuo Matayoshi Jesus Christ」[26]となっていた。
なお、これらの発言は、 YouTubeや世界経済共同体党ウェブサイトなどで閲覧・確認できる。
投票日 | 選挙内容 | 得票数 | 得票率 | 順位 | 候補者数 | 惜敗率 | 出典/詳細 | 供託金 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | 7月13日宜野湾市長選挙 | 516票 | 1.9% | 3位 | 3名 | 2.77% | [28] | 没収 |
1998年 | 7月14日第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 | 4,007票 | 0.7% | 5位 | 5名 | 1.64% | 詳細 | 没収 |
1998年11月15日 | 沖縄県知事選挙 | 2,649票 | 0.4% | 3位 | 3名 | 0.70% | 詳細 | 没収 |
2001年 | 7月15日宜野湾市長選挙 | 2,111票 | 9.0% | 2位 | 2名 | 9.94% | [29] | 没収 |
2002年 | 2月 3日名護市長選挙 | 80票 | 0.3% | 3位 | 3名 | 0.39% | [30] | 没収 |
2002年11月17日 | 沖縄県知事選挙 | 4,330票 | 0.8% | 4位 | 4名 | 1.20% | 詳細[31] | 没収 |
2003年11月 | 9日第43回衆議院選挙・東京1区 | 698票 | 0.3% | 5位 | 5名 | 0.66% | 詳細 | 没収 |
2004年 | 7月11日第20回参議院選挙・東京都選挙区 | 8,382票 | 0.2% | 11位 | 11名 | 1.01% | 詳細 | 没収 |
2005年 | 9月11日第44回衆議院選挙・東京1区 | 1,557票 | 0.6% | 4位 | 4名 | 1.03% | 詳細 | 没収 |
2007年 | 7月29日第21回参議院選挙・東京都選挙区 | 5,289票 | 0.1% | 19位 | 20名 | 0.77% | 詳細 | 没収 |
2009年 | 8月30日第45回衆議院選挙・東京1区 | 718票 | 0.2% | 8位 | 9名 | 0.50% | 詳細 | 没収 |
2010年 | 7月11日第22回参議院選挙・東京都選挙区 | 4,900票 | 0.1% | 20位 | 24名 | 0.74% | 詳細 | 没収 |
2012年12月16日 | 第46回衆議院選挙・東京1区 | 1,011票 | 0.4% | 8位 | 9名 | 1.23% | 詳細 | 没収 |
2013年 | 7月21日第23回参議院選挙・東京都選挙区 | 5,633票 | 0.1% | 19位 | 20名 | 0.92% | 詳細 | 没収 |
2014年12月14日 | 第47回衆議院選挙・東京1区 | 1,416票 | 0.6% | 6位 | 6名 | 1.32% | 詳細 | 没収 |
2016年 | 7月10日第24回参議院選挙・東京都選挙区 | 6,114票 | 0.1% | 21位 | 31名 | 1.20% | 詳細 | 没収 |
2017年10月22日 | 第48回衆議院選挙・東京1区 | 1,307票 | 0.6% | 6位 | 6名 | 1.4% | 詳細 | 没収 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.