土屋清三郎
ウィキペディアから
ウィキペディアから
土屋 清三郎(つちや せいさぶろう、1882年(明治15年)4月20日[1] – 1946年(昭和21年)3月3日[2])は、衆議院議員(立憲政友会→立憲民政党)、医師。旧名・清[1]。
千葉県武射郡山室村[3](豊岡村、松尾町を経て現山武市)で、土屋清左衛門、たけ の長男として生まれる[1]。1887年(明治20年)清三郎に改名[1]。済生学舎・東京慈恵医院医学専門学校(現在の東京慈恵会医科大学)を卒業。内務省伝染病研究所嘱託、警視庁検疫官、岐阜県衛生技師を歴任し、退官後は開業医となった。そのかたわら日本語雑誌「日本之医界」、英文雑誌「Japan Medical World」、中国語雑誌「東亜医学」の発刊・経営にあたった[2]。
1916年(大正5年)、牛込区会議員に当選[4]。さらに1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙で当選したが、衆議院議員選挙訴訟の結果、安房郡での選挙が無効となり、同年12月8日、千葉県知事により鵜澤總明・吉植庄一郎・木村政次郎・関和知・津田毅一・鵜沢宇八・柏原文太郎・磯野敬・加瀬禧逸と共に当選証書が取消され議員を退職し[5]、同月に実施された再選挙で当選した[6][7]。その後、第15回から第20回総選挙まで連続当選を果たした[6]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.