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アル・ロペス
アメリカ合衆国の野球選手 (1908-2005) ウィキペディアから
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アル・ロペス(Alfonso Ramon "Al" Lopez、1908年8月20日 - 2005年10月30日)は、アメリカ合衆国・フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手(捕手)、監督。右投右打。1977年に監督としてアメリカ野球殿堂入りを果たしている。
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経歴・人物
要約
視点
選手時代
1924年に地元タンパにあった野球チームで野球を始める。
1927年にサウスイースタンリーグのジャクソンビル球団からロビンズに入団。翌1928年に3試合出場したが、本格的にロビンズの正捕手となったのは1930年シーズンからのことである。この年は128試合に出場し打率.309の成績を収めた。尚、この年の9月12日にはメジャーリーグで最後となるワンバウンドでの本塁打を記録している(※同年までナショナル・リーグでは、ワンバウンド後にスタンドインした打球は本塁打とされていた)。また1933年には打率.301をマークし同年のオールスターゲームに出場、また最優秀選手候補の一人にもなった。
1935年までブルックリンに在籍した後はボストン・ビーズ(現アトランタ・ブレーブス)にトレードされる。また1940年にはピッツバーグ・パイレーツにトレードされ、1947年にクリーブランド・インディアンスで引退するまで実働で19年間選手を続けた。選手時代には目立った活躍はなかったものの、捕手としての通算1918試合の出場は当時メジャーの最多記録であった。
監督時代
ロペスは1951年にインディアンスの監督に就任し、初年度から93勝61敗の戦績を上げる。当時インディアンスは1940年代後半からずっとアメリカンリーグの上位につけていたものの、ケーシー・ステンゲル率いるニューヨーク・ヤンキースがずっとリーグを連覇していた時代で、なかなかヤンキースを追い越せないシーズンが続いた。しかし1954年にアーリー・ウィン、マイク・ガルシア、ボブ・レモン、ボブ・フェラー、ハル・ニューハウザーらを擁する強力な投手陣と、ラリー・ドビー、アル・ローゼンらの活躍でシーズン111勝を挙げ、ついにヤンキースの連覇を止める。しかしワールドシリーズではニューヨーク・ジャイアンツを相手に攻撃陣が沈黙、0勝4敗で敗退した。
その後1957年からはシカゴ・ホワイトソックスを指揮する。この頃のホワイトソックスも勝ち越しはするものの、ヤンキース、インディアンスに毎年10ゲーム以上離されるシーズンが続いていた。ロペスは今度はルイス・アパリシオとネリー・フォックスのニ遊間に代表される固い守りのチームを作り上げ、就任3年目の1959年に94勝でホワイトソックスをリーグ制覇に導く。1949年から1964年までの間のアメリカンリーグにおいて、ヤンキース以外のチームがアメリカンリーグを制したのはこの2回だけである。
ロペスがフルシーズンの采配を振ったのは1965年シーズンまでで、この年を最後に一度監督を勇退する。その後1968年途中と1969年のシーズン当初に1ヶ月ほど指揮をとるものの、同年5月に引退。それ以降監督を勤めることはなかった。1951年からの15年間は、負け越したシーズンが一度もないという見事な戦績だった。
1977年にアメリカ野球殿堂入りし、2005年に生まれ故郷のタンパで97歳で死去。同年ホワイトソックスが88年ぶりにワールドシリーズを制覇してから4日後のことだった。
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通算成績
打撃成績
獲得タイトル・記録
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監督としての戦績
背番号
- 10 (1932年 - 1935年、1951年 - 1956年、1964年 - 1965年、1969年)
- 7 (1936年 - 1939年)
- 8 (1940年 - 同年途中)
- 12 (1940年途中 - 1947年)
- 42 (1957年 - 1963年、1968年)
関連項目
外部リンク
- Baseballhalloffame.org – アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com
- 通算戦績 (Retrosheet)
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