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アンソニー・カーター (野球)
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アンソニー・スコット・カーター(Anthony Scott Carter、1986年4月4日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州ディケーター出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。2021年開催の東京オリンピック 野球 銀メダリスト。
日本プロ野球における登録名は「アンソニー・カーター」とフルネームであった[2]。ただし、一部の球場のスコアボードや新聞、TV等では「カーター」や「A・カーター」と表記されていた。
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経歴
要約
視点
ホワイトソックス傘下時代
パークビュー高等学校からジョージア・ペリメター大学を経て、2005年のドラフト26巡目でシカゴ・ホワイトソックスから指名され入団[1]。高校の2年先輩にジェフ・フランコーアがいる。
2006年はルーキー級ブリストル・ホワイトソックスで13試合に登板し、2勝8敗、防御率7.67だった。
2007年はルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックスで15試合に登板し、5勝3敗、防御率3.93だった。
2008年はA級カナポリス・インティミデイターズとA+級ウィンストン・セイラム・ワースホッグスでプレー。A+級では17試合に登板し、6勝5敗、防御率4.90だった。
2009年はA+級ウィンストン・セイラムで27試合に登板し、11勝7敗、防御率4.36だった。
2010年からリリーフに転向。AA級バーミングハム・バロンズで46試合に登板し、1勝4敗22セーブ、防御率3.92だった。11月19日にホワイトソックスとメジャー契約を結び[3]、40人枠入りを果たした。
2011年2月27日にホワイトソックスと1年契約に合意[4]。3月14日にAAA級シャーロット・ナイツへ異動し[5]、開幕をAAA級で迎えた。この年はAA級バーミングハムとAAA級シャーロットでプレー。AAA級では35試合に登板し、0勝2敗3セーブ、防御率7.23だった。
2012年3月4日にホワイトソックスと1年契約に合意[6]。3月19日にAAA級シャーロットへ異動し[7]、開幕を前年と同じくAAA級で迎えた。この年はAAA級シャーロットで39試合に登板し、4勝6敗2セーブ、防御率4.60だった。オフの11月30日にノンテンダーFAとなった[8]。
レッドソックス傘下時代
2013年3月27日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ[9]。この年はAAA級ポータケット・レッドソックスで52試合に登板し、2勝0敗24セーブ、防御率3.47だった。7月にはAAA級のオールスターゲームでインターナショナルリーグ選抜に選出されている[10]。オフの11月5日にFAとなった。
パドレス傘下時代
2013年11月15日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。
2014年はAAA級エル・パソ・チワワズで3試合に登板し、防御率6.00だった。
日本ハム時代
2014年4月21日に北海道日本ハムファイターズが獲得を発表[11]。5月1日の埼玉西武ライオンズ戦で来日初登板を果たし、1回を無失点に抑えた。48試合に登板し、20HPの成績を残したが、10月21日に、球団から戦力外通告を受け退団した。12月2日、自由契約公示された[12]。
日本ハム退団後
2014年12月16日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。
2015年6月12日に解雇となり、7月に右肩の手術を受ける。
2016年2月27日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結ぶ。
2018年2月9日にメキシカンリーグのアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約した[13]。
2019年もアグアスカリエンテス・レイルロードメンでプレー。
2020年2月1日にトレードでサルティーヨ・サラペメーカーズに移籍した。
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詳細情報
年度別投手成績
- 2014年度シーズン終了時
記録
- NPB
- 初登板:2014年5月1日、対埼玉西武ライオンズ6回戦(西武ドーム)、9回裏に4番手で登板。1回無失点[1]
- 初奪三振:同上、9回裏に栗山巧から空振り三振
- 初ホールド:2014年5月6日、対福岡ソフトバンクホークス7回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、6回裏に2番手で救援登板、1回無失点[1]
- 初セーブ:2014年9月21日、対東北楽天ゴールデンイーグルス22回戦(楽天Koboスタジアム宮城)、9回裏に6番手で救援登板、完了、1回無失点
代表歴
背番号
- 70 (2014年)
- 37 (2018年 - )
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脚注
関連項目
外部リンク
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