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ウッチャンナンチャンのウリナリ!!
日本のテレビバラエティ番組 (1996-2002) ウィキペディアから
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『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(通称:ウリナリ!!)は、1996年(平成8年)4月12日から2002年(平成14年)3月22日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本のバラエティ番組。ウッチャンナンチャンの冠番組。放送時間は毎週金曜日の 20:00 - 20:54(1996年4月 - 1998年9月)→19:58 - 20:54(1998年10月 - 2002年3月、いずれもJST)[注 1]。
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概要
日本テレビではそれまでも『ウッチャンナンチャン』『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』『ウンナン世界征服宣言』『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』といったウッチャンナンチャンの冠番組を放送しており、本番組は金曜20時台に放送されていた『ウリウリ!ナリナリ!!』を改題したものである。『ウリウリ!ナリナリ!!』がコント・企画モノ中心の内容だったのに対し、この『ウリナリ!!』ではドキュメント系バラエティとし、ウンナン・レギュラー陣がさまざまな企画に挑戦するというものがメインに変更され、一旦コントは最小限に留められる。
収録はどのコーナーも主に日曜日・月曜日の2日間にわたって行われていた。そのうち、コントライブコーナーについては日曜日の午前と午後にそれぞれ2本(計4本)撮りが行われていた。そのため、TBS系列の生放送「アッコにおまかせ!」(昼11時45分~13時)に出演していた勝俣州和については、体力勝負企画が多く収録・拘束時間の長いウリナリにおいては主に午後収録と月曜日の収録に参加していた[注 2]。
番組が放送されていた1996年から2002年は日本テレビがフジテレビから視聴率三冠王を奪還、人気番組を量産し、他局を引き離す独走状態であった。そんな渦中で「ウリナリ」も千秋をボーカルに据えた番組オリジナル音楽グループ「ポケットビスケッツ(以下ポケビ)」、その対抗グループであるビビアン・スーをボーカルに据えた「ブラックビスケッツ(以下ブラビ)」のヒットにより人気に火がつき、両グループの対決企画などが放送されていた1997年夏頃から1999年秋頃にかけて高視聴率を獲得し、日テレのドル箱番組となった。
当番組は終始体力勝負が鍵になる番組だった[1][2]。レギュラー陣はポケビ・ブラビをはじめとする各種舞台の打ち合わせからリハーサル・稽古、さらには社交ダンス振り付けの把握、各コーナー企画での楽器の演奏準備・スポーツ系企画の練習、コントライブの台本の把握と、相当ハードスケジュールのなかで行っていた[3]。また、そもそも週替わり単発コーナーについては、はじめから厳密に構成や進行を把握していたのはウンナンの2人だけ、あとのレギュラー出演者へは、現地到着後に企画を知らせていたことが後に千秋と勝俣それぞれ2人のYouTubeチャンネルおよび千秋がゲスト出演したウド鈴木MCのイッツコム番組で明かされている(ただし、コントやキャラクター設定が正確に決められている単発コーナー等の台本が初めから必要なものは除く)。
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出演者
要約
視点
()内はテロップの色。特記なき場合、1996年4月 - 2002年3月の番組全期にわたって出演。なお、途中降板したレギュラーは降板の挨拶や卒業の報告など一切行われなかった。
ウリナリオールスターズ(レギュラー)
メインキャスト
『ウリウリ!ナリナリ!!』から続投
- K2
- キャイ〜ン
- よゐこ
- 室井滋(1996年4月 - 5月)
- 1997年はMckeeとしての活動報告のみの出演だったが、Mckeeの消滅とともに番組から姿を消した。翌年「芸能人社交ダンス部」に部員として参加。
- 国生さゆり(1996年4月 - 5月)
- Mckeeとしての活動報告のみに留まり、Mckeeの消滅とともに番組から姿を消す。
- 千秋(1996年4月 - 2001年4月、■ピンク)
- 高山理衣(1996年4月 - 8月)
- 「芸能界サークル活動宣言」の総合司会を担当したが、コーナーの自然消滅やMckeeの解散、新女性陣の台頭などもあり番組から姿を消す。
- 森脇健児(1996年4月 - 8月、テロップ色不明)
- 当初は「もってこいしりとり」のみのレギュラーであったが、コーナー消滅後は全レギュラー参加企画や「ウリナリ応援団」の参加というポジションばかりであった。「ウリウリ!ナリナリ!!」では「ラバ管ハイジャンプ選手権」に北野誠と共に参加
- 巴千草(1996年4月 - 8月)
- 初期のコント出演や、「URIナリキリ」の進行役が主な出番であり、森脇同様全レギュラー参加企画や「ウリナリ応援団」の参加などに甘んじた末フェードアウトしていった。
中期に加入
- ビビアン・スー(1996年5月 - 1999年10月、■オレンジ)
- 「ウリウリ!!ナリナリ!!」時代からたまに番組に顔を見せていたが「芸能人社交ダンス部」の加入を機にレギュラーとなる。
- 藤崎奈々子(1997年頃 - 2001年4月、■薄紫)
- 「芸能人お見合いサークル」の第2弾のお見合い相手として番組初登場。その後「ドーバー海峡横断部」への入部以降レギュラーとなる。
- ケディ(1999年4月〜2000年11月、■薄緑)
- 山川恵里佳(1999年11月 - 2002年3月、赤に近い■ペールオレンジ)
- 神尾米(1999年 - 2000年1月、2002年、テロップ色不明)
- 「ドーバー海峡横断部」→「マッターホルン→赤岳登頂部」の部員のみの出番であったが、「ウリナリ大会議」に参加するなど、レギュラー扱いとなっていた。
- ニラ・バラ(2000年 - 2001年)
- ジニー(2000年9月 - 2002年3月、■オレンジ色、2000年12月のビビアン一時復帰出演時は濃い■ピンク)
- ハン(2000年9月 - 2002年3月、■薄紫)
解散総選挙後
いずれも2001年6月 - 2002年3月出演。
進行アナウンサー
さまざまな企画でのウンナンのアシスタント的な役割を担った。いずれも日本テレビアナウンサー(当時)。
- 羽鳥慎一(「もってこいしりとり」進行役)
- 鷹西美佳(初期の社交ダンス部顧問)
- 後藤俊哉(初期に一時担当)
- 河村亮(「ウリウリナリナリ」時代から社交ダンス部のみとなった特番まで担当、ウンナン・キャイ〜ン・勝俣に次ぐ最多出演者。彼はこの番組でバラエティにも進出するようになった。ウリナリ審査委員会も担当した)
- 大神いずみ(「芸能人ルアーフィッシング同好会」リポーター)
- 松永二三男(レギュラー放送時代中期 - 末期頃に一時担当)
- 藤井貴彦(ドーバー仮面。ドーバー海峡横断部に部員で参加、ドーバー時のテロップは■青)
- 山王丸和恵(1998年ポケビ100万人署名最終日の集い時、中継担当)
- 藤井恒久(1999年ウリナリブラビ生放送特番スペシャル時、中継担当)
- 船越雅史(奪三振王への道)
- 魚住りえ(1999年〜2002年、ウリナリブラビ生放送特番スペシャル時、中継担当ほか)
- 蛯原哲(1998年頃に一時担当)
- 村山喜彦(1999年ウリナリグレートサミット・UGSの1回のみ)
- 舟津宜史(1999年のウリナリグレートサミット・UGSの1回のみ)
- 松本志のぶ(2000年〜2001年、ウリナリゼミナールのホワイティのアシスタント担当)
- 高橋雄一(2002年)
など
ウリナリ応援団
勝俣を団長に据えた団体。最初の社交ダンス大会の応援以降あらゆる企画に登場したが、要は出番がないレギュラーのために用意した野次馬ポジション。96年秋頃のレギュラーの人員整理によって消滅した。その後はポケビとブラビの対決時などに堀部・よゐこの3人で一時的に復活している。ポケビとブラビが第49回NHK紅白歌合戦に出場した際にもバックダンサーとして登場。
ウリナリ審査委員会
元々は追加ルールや課題の発表などを出演者及び視聴者に発表する役割を受け持つ架空の組織。『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の中でリポーターが口癖のように言いながらも実際は虚構の存在だった「生ダラ審査委員会」とは対照的に、こちらは制作側の意思を具現化した団体として設定されている。登場時には必ず黒のタキシードを着ていた。主にポケビ・ブラビシリーズを中心に、中期十数回登場。1999年のポケットビスケッツとのCD発売を賭けてのトライアスロン対決に敗れた事で自然消滅と思われたが、ポケビ・ブラビシリーズ終了後はまだ活動は継続していた。
- 勝俣州和
- 堀部圭亮
- 河村亮
- 内村光良 ※ウリナリ女王決定戦のみ。
コーナーレギュラー
- パッパラー河合(爆風スランプ、1996年4月 - 1999年「ポケビ(新曲発表時)」)
- 杉本彩(1996年4月 - 2002年3月「社交ダンス部」、濃い紫)
- わたりとしお(1996年4月 - 1999年「社交ダンス部」、「写真部」テロップ色不明)
- 鈴木紗理奈(1996年4月 - 5月「社交ダンス部」、テロップ色不明)
- 矢部美穂(1996年「社交ダンス部」、テロップ色不明)
- 出川哲朗(1997年「芸能人お見合いサークル」、テロップ色不明)
- 伊藤裕子(1996年 - 1997年「社交ダンス部」、テロップ色不明)
- 遠藤久美子(1997年 - 1998年「社交ダンス部」、テロップ色不明)
- 松任谷由実(1997年2月 - 4月、1999年12月 - 2000年2月「モテないブラザーズ」、テロップ色不明)
- 松任谷正隆(1997年2月 - 4月、1999年12月 - 2000年2月「モテないブラザーズ」、テロップ色不明)
- 久保純子(NHKアナウンサー・1999年1月、「ポケビ・ブラビ紅白の真相」)
- 山本晋也カントク(1999年12月31日、「ザッツ・ウリナリテイメント」)
- 小倉久寛(2000年「マーチングバンド部」・「ナトゥ」、テロップ色不明)
- 三宅裕司(2000年「ナトゥ」、テロップ色不明)
- 北陽(2002年1月 - 2月「狂言部」、テロップ色不明)
- いとうせいこう(2002年1月 - 2月「狂言部」、テロップ色不明)
- チューヤン(2002年1月 - 2月「狂言部」、オレンジ色)
- 加藤茶(2001年「ウリナリライブ2001 スペシャルジョイントカーニバル」、コントのみの出演のためテロップなし)
- 三津谷葉子(2001年「女子柔道部」・「社交ダンス部」、テロップ色不明)
- 小野愛(2001年「女子柔道部」・「社交ダンス部」、テロップ色不明)
- 雪野智世(2001年4月 - 5月、「解散総選挙」進行)
- 舛添要一(2001年4月 - 5月、「解散総選挙」解説者)
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番組の歴史
初期
- 1996年
- 4月12日 - 「ウリナリ」としての放送開始。
- 8月 - 9月頃にかけて、キャイ〜ン、K2、よゐこ、千秋、ビビアンを除く「ウリウリ!ナリナリ!!」時代からのレギュラー及び、「ウリナリ」の新規レギュラーが相次いで自然降板した。理由は不明。
- 9月4日 - ポケットビスケッツの2ndシングル「YELLOW YELLOW HAPPY」を発売し、ミリオンセラーを記録。これを機に徐々に番組認知度と視聴率が上昇していく。
- 9月13日 - エンディングテーマ前のコントコーナー「ランキングキャラクターライブ」がスタート。
中期
- 1997年 - この年、藤崎がレギュラー参加。
- 1月10日 - ブラックビスケッツが初登場。
- 2月 - 普段滅多にバラエティに出演しない歌手の松任谷由実と松任谷正隆夫妻2人が内村と勝俣の「モテないブラザーズ」の企画でゲスト登場する。3月に開催する松任谷由実のライブにてモテないブラザーズが参加する打ち合わせと松任谷由実へのオファーを行った。
- 3月21日 - 春のウリナリ!!2時間スペシャル『ウリナリ!! 南へ北へスペシャル』放送。そのユーミンのライブに内村と勝俣によるモテないブラザーズが「春よ、来い」の演奏でスペシャル参加。
- 4月 - 初めてオープニングCGとタイトルロゴを変更。
- 10月10日 - 秋のウリナリ!!2時間スペシャル『ウリナリ芸能人社交ダンス部 炎の全日本団体戦スペシャル』で平均視聴率28.2%を記録。この回が、特番を含むウリナリの全放送回(1996年 - 2007年)の中で最高視聴率を記録した放送となり、当時、最大の強力裏番組だったテレビ朝日系「ミュージックステーション」に視聴率でついに勝利する。
- 1998年 - 年間を通じてポケビVSブラビの対決企画が若年層を中心に支持され、番組発の両者の曲も引き続きミリオンセラーを記録するなど全盛期に突入。
- 1月30日 - 『ウリナリ大会議』第1回が放送。内村がゲームに敗れて補欠になり、翌週からしばらく番組内のタイトルが『ナンチャンのナリ!!』に変更される。
- 10月16日 - 放送時間2分拡大、金曜19:58 - 20:54となる。
- 12月25日 - 初のウリナリ大型特番『ザッツウリナリテイメント』を生放送。
- 12月31日 - ポケビとブラビが(設定上)和解し、『第49回NHK紅白歌合戦』に紅組でスペシャルユニットとして出場。1997年より続いてきた「ポケビVSブラビ対決」はこれが最後となった。以降、ポケビとブラビの絡みが徐々に減っていく。
- 1999年 - この年、神尾米、藤井貴彦アナウンサー、ケディが初登場。
- 4月 - ケディが初登場、5月からブラビの正式メンバーに加わる。
- 6月18日 - 視聴率が『Mステ』に久々に負けを喫した[注 3]。これ以降、1997年秋頃から首位独走状態にあった視聴率が徐々に『Mステ』に奪われはじめる。
- 5月21日 - ブラビがポケビにケディ像の購入を求めるが拒否される。この放送が番組での2組の会話を伴う最後の共演となった(後述の最終回では別々の登場のため、直接の共演はなかった)。
- 7月16日、地上波未公開シーンの有料動画配信を実験的に開始[4][5]。
- 7月 - シングル「Bye-Bye」が設定された売上枚数に到達せず、ブラビから南々見狂也とケディが脱退。ブラビはそのまま活動休止となる。
- 10月 - ビビアンがブラビの活動休止と同時にレギュラーを降板。以降、ビビアンの出演は2000年12月の『ナトゥ』の宣伝時、2002年3月の最終回「ウリナリ祭り」のみである(ウリナリ祭りではブラビとしての出演)。
- 10月15日 - 「ランキングキャラクターライブ」が終了。10月22日からは新コントコーナー「スーパーフライデーナイトライブ」がスタート。
- 12月31日 - 2000年1月1日 - 『雷電スペシャル いけ年こい年 1999→2000』を日本テレビの年越し番組として放送、当番組の企画も放送された。松任谷とポケビがライブで、新曲『Millennium』を披露。2年半ぶりに「もてないブラザーズ」が復活、スペシャル版「春よ、来い」を演奏。南原はブラビの「Timing」で演奏した経験を生かし、松任谷の歌と共にサックスを演奏した。
- 2000年 - この年、ニラ・バラが初登場(基本的にナトゥ関連のコーナーへの出演。不定期に単発コーナーにも出演)。
後期
- 2000年5月26日 - タイトルロゴ2度目の変更。同時にオープニングCGも廃止され、通常放送のオープニングは放送日の各コーナーを紹介するだけの簡易的なものとなり、タイトルロゴも画面左上または右上に小さく表示されるだけになる。
末期
- 2001年 - 視聴率を取り戻すためにレギュラー陣の大幅な入れ替えなど、様々なてこ入れが行われた大改革の年であった。また2000年以前に比べ、金曜日にもプロ野球中継「劇空間プロ野球」が編成されるようになり、シーズン中(4月 - 9月)は放送休止が目立つようになった。
- 2002年
- 2月 - 「ウリナリ大会議」にて番組終了及び最終回「ウリナリ祭り」の概要が正式発表される。
- 3月12日 - 番組の旧レギュラー陣の一部(スケジュールの都合などで全員は出演できず、出演できなかった者のVTRやコメントなどもなかった)もゲストという形で登場・出演した最終回イベント「ウリナリ祭り」を有楽町・東京国際フォーラムで開催。会場には5000人を超える番組ファンが集まり、満席となり立ち見客も出た。
- 3月22日 - 最終回の放送。上記の「ウリナリ祭り」を再編集した1時間枠で7年間のレギュラー放送を終了した。ラストは2001年以降に結成されたマーチングバンド部を起源とする新レギュラー陣全員の演奏による「風になりたい」を披露。演奏終了後のステージには華やかに紙吹雪が舞い上がり、ウンナンの2人による「みなさん、7年間、本当にありがとうございました! そして(内村)」「ありがとうございました!(南原)」という感謝の言葉で大団円となった。旧レギュラー陣で放送された6年に比べて、ウリナリ解散総選挙後の新レギュラー陣による放送期間は約9ヶ月となった。
- 本番組終了後、ウンナンの新レギュラー番組は制作されず、『ウッチャンナンチャン』から続いた日本テレビ系のウンナン冠番組シリーズも13年で幕を降ろした。特番への出演は存在したが、日本テレビでのレギュラー番組は、内村は2004年の「ワールド☆レコーズ」、南原は2006年の「シャル・ウィ・ダンス? 〜オールスター社交ダンス選手権〜」まで空くこととなる。
終了後
- 2002年12月27日 - 2007年3月25日 - 『ウリナリ芸能人社交ダンス部』単独特番が9回放送された。
- 2008年6月18日 - 番組末期のレギュラーだった神戸みゆきが逝去。番組歴代レギュラー陣においては初の逝去者となった。共演者らの追悼コメントは公式には出ていない。
- 2018年8月 - 24時間テレビ 愛は地球を救う41内にて、サプライズとしてポケビが最終回の東京国際フォーラム以来15年ぶりの本格的なライブを日本武道館にて行う[6]。「ウリナリ」自体の復活はなく、当番組の紹介は簡易的にされるに留まったほか、往年のようにライブ開催に向けてメンバーに何らかの試練が与えられる演出などもなかった。
- 2022年5月14日 - 全期間に渡って番組の進行とウリナリ審査委員会のメンバーを務めた河村亮アナウンサーが逝去[7]。共演者の内、キャイ〜ンが葬儀告別式に参列したことが報じられ、千秋が自身のSNS公式インスタグラム上にて追悼のコメントを行っている[8]。
- 2022年12月3日 - 日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト内にて、今度はブラビが最終回の東京国際フォーラム以来20年ぶりの本格的なライブを麹町スタジオにて行った。これに伴い、ビビアンが来日した[9][10]。2017年のポケビ復活と同様に、こちらも番組自体の復活や試練はなかったが、ブラビ復活に向けてのやり取りや寸劇が放送された。
- 2023年12月 - ポケビとブラビが第74回NHK紅白歌合戦の特別企画『テレビが届けた名曲たち』に出場。2組が紅白に出場するのは25年ぶりとなる[11][12]。ブラビの「Timing」では新規で内村の演奏パートがあったほか、2024年1月8日にNHK総合で放送された「NHK紅白歌合戦お正月スペシャル」[13]では2組のリハーサル風景が放送された。
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放送リスト
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
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主な企画
通常コーナー
→詳細は「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!の企画」を参照
ウリナリ解散総選挙
2001年4月、ウリナリ大会議で「ウリナリ解散総選挙」実施が決定(決定への経緯はウリナリ大会議を参照)。同年5月、総選挙後に番組リニューアルが行われ、メンバーが大幅に変更。選挙では東京のみならず全国主要都市に投票所を設けた他、出口調査や比例代表制、随時当選確実の速報を入れるなど[注 4]、本物の公職選挙における制度やそれに関する報道体制を取り入れ、舛添要一が解説で出演した。なお2001年当時の日本の公職選挙では20歳未満および日本国籍を有しない者の投票は認められていなかったが[注 5]、ウリナリ解散総選挙では原則として誰でも投票可能であった。
解散総選挙に立候補したメンバーはアクシャン、アルカリ三世、ウッチャンナンチャン、おさる&おかん、キャイ〜ン、K2、さまぁ〜ず、手裏剣トリオ、ずん、底ぬけAIR-LINE、TIM、Take2、デンジャラス、どーよ、ドロンズ、X-GUN、バナナマン、ホーム・チーム、よゐこ、リットン調査団の20組(50音順)。
結果、ウンナン、キャイ〜ン、勝俣がレギュラー残留。ゴルゴ、大竹、坂本ちゃんが新メンバーとしてレギュラー入り。落選したよゐこ、堀部が番組を降板した(堀部はこの後、一時期タレント活動をほぼ停止し、放送作家に専念していた。『ウリナリ!!』最後の出演の際、「負けたらテレビから身を引く覚悟でいます」と語っていた)。
また、女性陣も山川を除いて一新。新たに小池、神戸が加入した。
しかし、番組の大リニューアルは結果的に失敗し、2002年の3月いっぱいで放送終了が決まった。
運命のファイナルステージ ウリナリ祭り 〜7年間の総決算〜
2002年3月12日、有楽町・東京国際フォーラムにて行われた『ウリナリ!!』ファイナルイベント。レギュラー放送最終回。映画の撮影でどうしても来られなかった堀部を除きかつてのレギュラーがほぼ全員出演。千秋、ビビアン以外はエンディングまで出演していた(2人がなぜ早々に帰ってしまったかは不明)。
ポケビ、ブラビ、ウルトラキャッツ、メモリーキャッツ等、番組発ユニットのヒット曲披露(McKee、黒幕&愛人、ウリナリオールスターズを除く)、部活動ヒストリー、現メンバーによるスチールパン演奏などを行い、7年間の番組の歴史に幕を閉じた。
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音楽ユニット
この番組から誕生した番組企画ユニット。番組終了に伴い全てのユニットが活動を停止している。あくまで活動停止であり、解散ではないことをウンナンの2人が説明している。活動再開をしない理由は不明であるが、復活の声は20年以上経つ今でも根強く、幾度か復活した事例もある。唯一、ジニー・リーのみが内村側(ウルトラキャッツ)と南原側(ブランニュービスケッツ)両陣営でCDデビューを果たしている。
内村側ユニット
- ポケットビスケッツ(1995年11月 - 2000年3月、2002年番組最終回、2018年8月25日〈復活〉、2023年12月31日〈復活〉)
- TERU、Chiaki & Fruits Flowers、UDO(いずれもソロプロジェクト)
- Yuming+Pocket Biscuits
- 黒幕&愛人(2001年)
- ウルトラキャッツ(2001年10月 - 2002年9月)
南原側ユニット
- McKee(1995年11月 - 1996年5月)
- ブラックビスケッツ(1997年1月 - 1999年10月、2002年番組最終回、2022年12月3日〈復活〉、2023年12月31日〈復活〉)
- 南々見組 (1999年10月 - 2000年)
- ブランニュービスケッツ[14](2000年11月 - 2001年1月)
- メモリーキャッツ(2001年)
その他
- ウリナリオールスターズ
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エンディングテーマ
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『ウリナリ!!』では、番組で結成された企画ユニットの曲をエンディングテーマとしていた。主にユニットのプロモーションビデオやメイキングビデオの映像とともに流れていた。なお、TERUの「青の住人」(1999年2月19日放送)は前奏が長いため歌詞がほとんど流れなかった。また、エンディングテーマがない時期もあった。
ポケビvsブラビ対決の全盛期は、3番勝負でエンディングの時間配分を決めることもあり、CDデビュー前のブラックビスケッツがカラオケボックスで歌っている様子が放送されたこともあった。
- 「Can't Stop My Heart」McKee
- 「Rapturous Blue」ポケットビスケッツ(1996年5月10日等)
- 「Yellow Yellow Happy」ポケットビスケッツ
- 「Red Angel」ポケットビスケッツ
- 「GREEN MAN」ポケットビスケッツ
- 「STAMINA」ブラックビスケッツ(1998年1月30日等)
- 「Timing」ブラックビスケッツ(1998年4月17日 - 6月5日、7月3日)
- 「Pink Princess」ポケットビスケッツ(1998年6月19日)
- 「POWER」ポケットビスケッツ(1998年7月17日 - 7月31日、8月21日、9月4日 - 9月11日)
- 「Relax」ブラックビスケッツ(1998年10月16日 - 10月30日、11月13日 - 12月18日)
- 「HAPPY CHRISTMAS」ウリナリオールスターズ(1999年2月12日)
- 「青の住人」TERU(1999年2月19日)
- 「マーガレット」CHIAKI&FruitsFlowers(1999年2月26日 - 3月12日)
- 「まごころ」ウド鈴木
- 「Bye-Bye」ブラックビスケッツ(1999年5月28日 - 7月16日、2000年11月3日)
- 「Days」ポケットビスケッツ(1999年7月23日、7月30日、8月27日 - 9月17日)
- 「My Diamond」ポケットビスケッツ(1999年8月13日)
- 「Millennium」Yuming+ポケットビスケッツ(2000年1月21日 - 2月25日)
- 「チッチナ」南々見組(2000年5月12日、5月26日)
- 「サヨナラッ」南々見組(2000年6月16日、6月23日)
- 「partner"S"」ブランニュービスケッツ
- 「東京LOVE」黒幕&愛人(2001年2月9日)
- 「TOMORROW」メモリーキャッツ
- 「バレム〜願い〜」ウルトラキャッツ
なお、社交ダンス部の特番にはエンディングテーマはない。
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DVD・VHS
ポケビ・ブラビなど音楽ユニットのディスコグラフィは各ユニットの項を参照。
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!! ランキング・キャラクター・ライブ傑作選(1 - 6巻・「ザ・ベスト・オブ・ホワイティ」) - 初回特典として各ユニットのカードがランダムに各3枚付いていた。カードは全60種。
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!! ナトゥ
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!! ドーバー海峡完全横断!!(前編・後編)
- 運命のファイナルステージ ウリナリ祭り完全版
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 芸能人社交ダンス部 DVD-BOX
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 芸能人社交ダンス部 1996春 伝説はこの大会から始まったスペシャル!!
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 芸能人社交ダンス部 2005春 大復活!新たなる挑戦スペシャル!!
スタッフ
- 企画:内村光良、南原清隆(クレジットなし)
- ナレーション:奥田民義、バッキー木場、山口奈々ほか
- 構成:廣岡豊、清水東、海老克哉、おちまさと、内村宏幸、そーたに、都築浩、中野俊成
- 美術:小野寺一幸(1996年7月頃-)
- デザイン:久保玲子、本田恵子
- 装置:小出幸男
- メイク:大塚恭子
- 衣裳:松沢味季
- TM:伊東聡
- TD:田中祥嗣(以前はSW)
- カメラ:青木芳行
- 音声:近藤良弘
- 照明:根建勝広
- 編集:中野栄滋(パークタワーウエスト→テレテックメディアパーク)
- MA:石塚亮(パークタワーウエスト→テレテックメディアパーク)
- TK:山沢啓子
- 音効:保苅智子(VAMP、保苅→1996年9月頃-)
- 制作進行:三浦正義、中田敦子
- 広報:神山喜久子
- 企画協力:田村正裕(マセキ芸能社、以前は制作協力)
- 制作協力:ザ・ワークス、モスキート、テレテック
- ディレクター:篠宮浩司、小島悟、井村誠男、植木一実、長田昌之、寺野慎一郎(篠宮・植木→1997年4月頃-、篠宮→一時期演出、長田→以前は演出補)
- 演出:工藤浩之、加藤幸二郎(加藤→以前はディレクター、1997年4月頃-)
- プロデューサー:戸田一也(以前はAP)、齋藤匠(ザ・ワークス、以前は制作協力→AP)、中村昌哉(以前は制作進行→AP)
- チーフプロデューサー:吉川圭三(2001年7月 - 2002年3月22日)
- 製作著作:日本テレビ
過去のスタッフ
- 構成:鮫肌文殊、藤沢めぐみ
- 美術:羽谷重信
- 美術進行:鈴木喜勝、星野充紀
- 装置:鎌田直毅
- メイク:井上純子
- 衣装:宮沢(澤)愛
- TM:宮下英俊、秋山真
- TP:田中元一
- TD:勝見明久
- SW:福王寺貴之
- CAM:佐藤博文
- 音声:糸谷隆夫、今村公威
- 照明:近藤一男、川島弘、渡辺一成、水戸実、朝倉若菜、合田憲司、平井治雄
- PA:佐藤武彦
- VE:高田彰彦、三浦勝志、九里隆雄、高橋一徳、矢田部昭
- ロケ技術:スウィッシュ・ジャパン
- 技術協力:共立、プログレッソ
- 編集:藤井秀隆(パークタワーウエスト)
- MA:白井俊彦(パークタワーウエスト)、吉澤千鶴(パークタワーウエスト→テレテックメディアパーク)
- 音効:白根沢修(VAMP)
- タイトルCG:SYNOV+KOUJI(以前はCG)、アクセス
- インフェルノ:田所貴司(マックレイ、以前はハリー→フレーム)
- ヘンリー:佐々木渉(マックレイ)
- 広報:木村晶子、高木雪
- 演出補:河野英裕
- 制作協力:零CREATE
- アシスタントプロデューサー:似鳥(島)利行、中井信介、赤間佳彦(中井→以前は編成)
- ディレクター:中西太
- 演出:星野淳一郎、磯野太、塩谷祥隆(塩谷→以前はディレクター)
- プロデューサー:土屋敏男(中期は演出兼任、1996年4月 - 2001年6月)
- チーフプロデューサー:棚次隆(1996年4月12日 - 2000年12月)、増田一穂(2001年1月 - 6月)
関連項目
- コント
- 日本お笑い史
- ウリナリ芸能人社交ダンス部
- 世界の果てまでイッテQ! - 内村が司会として出演しており、「遠泳部」などの事実上の後継企画も行われている。
脚注
外部リンク
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