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エスメルリング・バスケス
ドミニカ共和国の野球選手 (1983 - ) ウィキペディアから
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エスメルリング・デヘスス・バスケス(Esmerling de Jesus Vasquez 、1983年11月7日 - )は、ドミニカ共和国・エルマーナス・ミラバル州テナレス出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はフリーエージェント(FA)。
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経歴
要約
視点
ダイヤモンドバックス時代
2003年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約を結んだ。
2007年はAA級モービル・ベイベアーズで29試合に先発した。
2009年4月16日にメジャーに昇格した。同日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビューを果たした。
2010年4月17日にクリス・ベンソンを登録する為、AAA級リノ・エーシズへ降格した。しかし、4月19日にコナー・ジャクソンが故障者リスト入りしたのに伴いメジャーに昇格した。
ツインズ時代
2011年9月27日にウェーバーでミネソタ・ツインズへ移籍した。
2012年はAAA級ロチェスター・レッドウイングスで開幕を迎えた。9月1日にメジャーに昇格し、シーズン終了までに6試合で先発登板した。オフの11月5日にマイナー契約で再契約した。
2013年6月23日に放出され、独立リーグであるアトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約を結んだ。
台湾球界時代
2014年2月24日に、CPBLの義大ライノズと契約を結んだ。3月23日からローテーション入りし5試合先発したが1勝1敗、防御率4.98と振るわず、4月24日から中継ぎ出場のみとなった。救援で7月17日まで登板し、4セーブ4ホールドを記録したが7月19日に契約を解除された。
西武時代
2014年11月1日、埼玉西武ライオンズの入団テストのためにミゲル・メヒアと共に来日[1]。秋季キャンプに参加し、メヒアと共に11月13日に年俸3,000万円(金額は推定)プラス出来高[2]で契約を結んだ[3]。2015年1月28日、メヒア、ウェイド・ルブラン、アンソニー・セラテリと共に入団会見が行われ、背番号26が発表された[4]。
2015年の開幕を一軍で迎え[5]、3月29日の対オリックス・バファローズ戦において1点リードの7回に3番手で来日初登板し、1回を投げて無失点で初ホールドを記録した[6]。5月4日の対オリックス戦では同点の8回表2死の場面に4番手で登板し、1回1/3を投げ無失点で、チームが8回の裏に勝ち越したため初勝利を挙げた[7]。11月17日に翌年の選手契約を結んだことと、背番号が42に変更されたことが発表された[8]。
2016年は19試合に登板したが、0勝0敗6ホールド、防御率5.51と安定感を欠き、11月1日、ウェイバー公示の手続きがなされたことが発表された[9]。しかし譲渡を希望する球団は無く、11月8日に自由契約公示がなされた[10]。
西武退団後
2017年はメキシコとドミニカのウィンターリーグでプレー。
2018年7月19日にメキシカンリーグのラグナ・ユニオン・コットンファーマーズと契約[11]。16試合に登板し、0勝1敗、防御率2.57の成績を残した。
2019年3月9日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[11]。シーズン終了後にFAとなった[11]。
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選手としての特徴
速球は常時150km/h台を計測(2015年時点)[12]。変化球はツーシーム、スライダー、チェンジアップなどを投げる[13]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2018年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- NPB投手記録
- 初登板・初ホールド:2015年3月29日、対オリックス・バファローズ3回戦(西武プリンスドーム)、7回表に3番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:2015年4月2日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(楽天Koboスタジアム宮城)、8回裏に松井稼頭央から空振り三振[14]
- 初勝利:2015年5月4日、対オリックス・バファローズ6回戦(西武プリンスドーム)、8回表2死に4番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
背番号
- 32 (2009年 - 2011年)
- 59 (2012年)
- 45 (2014年)
- 26 (2015年)
- 42 (2016年)
脚注
関連項目
外部リンク
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