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エバン・ガティス

アメリカの野球選手 (1986 - ) ウィキペディアから

エバン・ガティス
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ジェームズ・エバン・ガティスJames Evan Gattis, 1986年8月18日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身の元プロ野球選手捕手左翼手)。右投右打。愛称はブルBull[1]

概要 基本情報, 国籍 ...

メディアによっては「ギャティス」とも表記される。

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経歴

要約
視点

プロ入り前

6歳から野球を始める。少年時代は大のテキサス・レンジャーズファンだった[2]

高校時代に活躍し、テキサスA&M大学が獲得に動いたが、期待への重圧からアルコールマリファナに手を出し、進学も諦めている[3]。その後、母親が更生施設に30日間入れた。退院後は、オクラホマ州にあるセミノール州立大学英語版に進学する。ここで、野球をするもを怪我して辞めてしまう。

セミノール州立大学中退後、長い放浪生活が始まる。まず、ダラスでバレットパーキングをする[4]。その後、コロラド州ボルダーにいる兄妹の家にしばらく泊まる。ここでは、スキーリフトの係などをやっていた。その7ヶ月後に、ダラスに帰郷する。

2010年に野球を復帰する事を決意。義理の兄弟がテキサス・オブ・ザ・パージアン・ベイシン大学英語版で野球をしており、そこのコーチがエバンの高校時代をよく知る人物だった。そのコネで大学に入り、野球を復帰した。

ブレーブス時代

2010年のMLBドラフト23巡目(全体704位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。1年目は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級ダンビル・ブレーブス英語版でプロデビュー。35試合に出場して打率.288、4本塁打を記録した。

2011年5月にA級ローム・ブレーブス英語版に昇格した。

2012年は開幕をA+級リンチバーグ・ヒルキャッツで迎え、21試合で打率.385・9本塁打・29打点を記録し、4月中にAA級ミシシッピ・ブレーブスへ昇格した。オフにベネズエラウィンターリーグに参加。53試合に出場して打率.303、16本塁打、長打率.595を記録した。ここで、"El Oso Blanco"というあだ名が付けられた。これは、スペイン語でシロクマを意味する。

2013年は開幕前にブライアン・マッキャンが負傷したため、初めて開幕ロースター入りを果たした。4月3日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で、メジャーデビューを果たす。第2打席でロイ・ハラデイからメジャー初本塁打を放った[5]。4月は、打率.250・6本塁打・16打点・長打率.566・塁打43を記録し、4月のルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞した。5月になるとマッキャンが復帰したが、故障者リスト入りしているジェイソン・ヘイワードに変わって左翼手を守るなどして、出場機会を得ている。5月も好調を維持し、打率.303、出塁率.362、長打率.683を記録し、2か月連続でルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞した。しかし6月19日に故障者リスト入りした。9月3日に復帰し、8日のフィリーズ戦では飛距離486フィート (148 m)級のホームランを放った。これは、シチズンズ・バンク・パークで最長飛距離である[6][7]。この年は105試合に出場して打率.243、21本塁打、65打点を記録し、ナショナルリーグ新人王の投票では7位であった。

Thumb
ブレーブス時代
(2014年6月13日)

2014年2月25日にブレーブスと1年契約に合意した[8]。この年はマッキャンがニューヨーク・ヤンキースへ移籍したため、開幕から正捕手として起用された。6月30日には椎間板ヘルニアで15日間の故障者リスト入りした[9]、7月21日に復帰[10]。この年は108試合に出場して打率.263、22本塁打、52打点を記録した。

アストロズ時代

2015年1月14日にマイク・フォルテネービッチリオ・ルイーズアンドリュー・サーマン英語版とのトレードで、ジェームズ・ホイトと共にヒューストン・アストロズへ移籍した[11]。アストロズではDHのレギュラーの座を手中に収め、自己最多の153試合でプレーして規定打席に達した。打率は.246ながら、自己最多且つチームトップの27本塁打を放ったほか、アメリカンリーグ3位タイの11三塁打も記録した。

2016年も指名打者のレギュラーで起用されたが、本職の捕手として起用される機会も増えた。128試合に出場し、打撃面では打率.251、32本塁打、72打点という成績を記録した。MLB4年目で通算100本塁打に達したほか、初めて30本塁打を超えた事もあって長打率は.500を超えた。また、メジャー初盗塁も決めた。

2017年は8月に脳震盪で故障者リスト入り[12]した影響もあり、84試合の出場に留まった。

2018年は128試合に出場して打率.226、25本塁打、78打点を記録した。捕手の守備に就いたのは2試合だけだった。オフの10月29日にFAとなった[13]

2020年、元チームメートのエリック・オフラハティと共に現役引退を発表した[14]

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詳細情報

年度別打撃成績

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  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績

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  • 2019年度シーズン終了時

表彰

背番号

  • 24(2013年 - 2014年)
  • 11(2015年 - 2018年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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