トップQs
タイムライン
チャット
視点

キャロルハウス

アイルランド生産の競走馬 ウィキペディアから

Remove ads

キャロルハウス (Carroll House) は、アイルランドで生産され、イギリスで調教を受けた競走馬。イギリス・イタリアドイツ・アイルランド・フランス日本の6か国で走り通算20戦7勝。1989年凱旋門賞 (G1) をはじめヨーロッパのG1を3勝、G2を1勝した。現役引退後種牡馬となり日本に輸出されたが、のちにアイルランドへ再輸出された。

概要 キャロルハウス, 欧字表記 ...

※文中の馬齢は当時の日本で一般的であった数え年ではなく、現在使用されている方法に換算して表記する。

Remove ads

戦績

2歳時の1987年にデビューし、2戦目に初勝利を挙げる。3歳ではクラシックの前哨戦を2戦した後、デルビーイタリアーノ(イタリアダービー)で2着。さらに準重賞を2勝し、秋にドイツのバーデン大賞でG1初勝利を挙げる。

4歳では3戦目にプリンセスオブウェールズステークス(G2)を勝ち、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスではナシュワンの5着[1]。秋にフェニックスチャンピオンステークス(現在のアイリッシュチャンピオンステークス)[2]を勝ち、大一番の凱旋門賞に出走。レースでは最後の直線でキャロルハウスが先頭に立ったが、3歳牝馬ベヘーラの進路をカットする形となった。不利を受けたベヘーラは体制を立て直してセントアンドリュースを交わして2着に入線したが、先頭を走るキャロルハウスには及ばなかった。降着になりかねない斜行であったが、長い審議の末にキャロルハウスの優勝が確定した[3]。その後、社台グループ吉田善哉が購入し、第9回ジャパンカップに出走するが、ホーリックスの14着(ブービー)に敗れる。

5歳でも現役を続行するが、2戦して7着、4着に終わり、現役を引退した。

Remove ads

種牡馬として

1991年より社台スタリオンステーション種牡馬となる。産駒は1994年にデビューするが、同じ社台の種牡馬としての同期に期待のサンデーサイレンスジェイドロバリーがいたこと、また日本のスピード競馬に対応できなかったこともあって、重賞勝ち馬はエイシンサンサン小倉3歳ステークスGIII)1頭のみと期待外れの結果に終わり、1997年にアイルランドに再輸出された。なおエイシンサンサンはエイシンニーザンエーシンディーエスエイシンクリックの3兄弟を産み、これがキャロルハウスが母の父として名を残すケースのひとつとなっている。

グレード制重賞優勝馬

  • 1992年産
    • エイシンサンサン(1994年小倉3歳ステークス)

地方重賞優勝馬

母父としての主な産駒

Remove ads

血統表

キャロルハウス血統ロイヤルチャージャー系 / インブリード Fair Trial4×5、Hyperion4×5、Nearco5×5)(血統表の出典)

Lord Gayle 1965
黒鹿毛
父の父
Sir Gaylord 1959
鹿毛
Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
父の母
Sticky Case 1958
栗毛
Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Run Honey Hyperion
Honey Buzzard

Tuna 1969
栗毛
*シルバーシャーク
Silver Shark 1963
芦毛
Buisson Ardent Relic
Rose o'lynn
Palsaka Palestine
Masaka
母の母
Vimelette 1960
鹿毛
*ヴィミー
Vimy
Wild Risk
Mimi
Sea Parrot Ocean Swell
Precious Polly F-No.14

甥のフェニックスリーチ(2000年生、父アルハース)はドバイシーマクラシック香港ヴァーズに勝ち、2004年のジャパンカップに出走した(6着)。

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads