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デピュティミニスター

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デピュティミニスター(Deputy Minister)[2]とはカナダ生産の競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に1981年ローレルフューチュリティ英語版(G1競走)、ヤングアメリカステークス英語版(G1競走)、1982年ドンハンデキャップ(G2競走)、トムフールステークス英語版(G2競走)。1981年のソヴリン賞で年度代表馬と最優秀2歳牡馬、同じ年のエクリプス賞で最優秀2歳牡馬にそれぞれ選出された。種牡馬としても、エクリプス賞受賞馬3頭を含む81頭のステークスウイナーを送り出した。

概要 デピュティミニスター, 欧字表記 ...
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競走馬時代

  • 特記事項なき場合、本節の出典はEQUIBASE[1]

1981年5月10日、ウッドバイン競馬場でのメイドン競走でデビューし、1着。一週間後の2戦目も制し、以降8月まで6連勝を記録。10月10日のシャンペンステークスで4着に終わり連勝が途絶えたものの、2週間後のローレルフューチュリティ、その10日後のヤングアメリカステークスとG1競走を連勝した。2歳時は9戦してG1競走2勝を含む8勝を挙げ、ソヴリン賞年度代表馬と最優秀2歳牡馬、エクリプス賞最優秀2歳牡馬にそれぞれ選ばれた。

3歳となった1982年、初戦のバハマスステークスで5着、2戦目のアローワンス競走は9着に終わって休養に入り、10月にウッドバイン競馬場のアローワンス競走で復帰して勝利したが、続くハンデキャップ戦は7着に終わり、3歳時は4戦1勝の成績に終わる。4歳を迎えて初戦のガルフストリームスプリントチャンピオンシップハンデキャップを勝つと、続くドンハンデキャップ、トムフールステークスとG2競走2勝を含めて3連勝を記録[5]。その後はホイットニーハンデキャップ4着、ウッドワードステークス6着と2戦して4着以下の成績と振るわなかったが、9月28日のアローワンス競走3着を挟みヴォスバーグステークス3着、G2競走スタイヴァザントハンデキャップ英語版2着を経て11月のG1競走メドウランズカップ英語版で2着となり、これが最後の競馬となった。

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引退後

要約
視点

引退後はアメリカのメリーランド州にあるウインドフィールズファームで種牡馬となり、1988年からはケンタッキー州のブルックデールファームに移動[3]。81頭のステークスウイナーを送り出し[3]、1997年から1998年の北アメリカリーディングサイアーの座に就いた[4]。また、1988年にはカナダ競馬殿堂入りを果たした[4]

2004年、この年は10万ドルの種付け料で71頭に種付けして64頭で受胎が確認されていたが、9月10日悪性腫瘍のためオハイオ州立大学家畜病院で死亡した[3]

主な産駒

太字はエクリプス賞受賞馬。カタカナ馬名前の*は本邦輸入を示す。

ブルードメアサイアーとしての主な産駒

GI級競走優勝馬

※勝ち宇蔵はGI級競走のみ記載

グレード制重賞優勝馬
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血統表

デピュティミニスター血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ヴァイスリージェント系ノーザンダンサー系
[§ 2]

Vice Regent
1967 栗毛 カナダ
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛 カナダ
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Victoria Regina
1958 栗毛 カナダ
Menetrier Fair Copy
La Melodie
Victoriana Windfields
Iribelle

Mint Copy
1970 黒鹿毛 カナダ
Bunty's Flight
1953 黒鹿毛 カナダ
Bunty Lawless Ladder
Mintwina
Broomflight Deil
Air Post
母の母
Shakney
1964 黒鹿毛 アメリカ合衆国
Jabneh Bimelech
Bellesoeur
Grass Shack Polynesian
Good Example
母系(F-No.) (FN:10-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Bunty Lawless 3 × 5 = 15.62%、Polynesian 5 × 4 = 9.38% [§ 4]
出典

脚注

外部リンク

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