トップQs
タイムライン
チャット
視点
キーガン・メッシング
カナダのフィギュアスケート選手 (1992 - ) ウィキペディアから
Remove ads
キーガン・メッシング(英語: Keegan Messing, 1992年1月23日 - )は、アメリカ合衆国アラスカ州ガートウッド出身、カナダの元フィギュアスケート選手(男子シングル)。2018年平昌五輪、2022年北京五輪カナダ代表。 高祖父はカナダへの日本移民第一号永野万蔵。
Remove ads
人物
2018年10月、2年半交際した女性と婚約[1]。2019年8月3日にアンカレッジで挙式をした[2]。
キス・アンド・クライではテンガロハット姿やお子さんの写真を披露したことがある。
2019年オータムクラッシック表彰式で、君が代が流れた際にどこにも日の丸が掲揚されていないことに気づいたメッシング選手が、表彰台の後ろにあった日本国旗を手で広げた振る舞いに「本当のスポーツマンシップだ」と称賛の声が広がった[3]。
経歴
要約
視点
初期
エルビス・ストイコを見たことをきっかけに、3歳でスケートを始めた。
ジュニア時代
2007-2008シーズンからジュニアグランプリシリーズに参戦した。
2010年世界ジュニア選手権ではSP2位からFS4位と後退し、メダルは逃した。
2010-2011シーズン、ブラショフ杯でジュニアグランプリシリーズで初優勝。ジュニアグランプリファイナルに初出場して第5位だった。世界ジュニア選手権ではSP1位に立つも、2年連続で4位に終わった。
2011-2012シーズン、シニアクラスに移行
ニース杯でシニアの国際大会初優勝。
2014-2015シーズン、所属をカナダへ変更
2015-2016シーズン
オンドレイネペラトロフィーでジャンプがSP、FS共に乱れ5位。グランプリシリーズ初参戦となったスケートカナダでは、SP・FS共にミスが多発し11位に終わった。カナダト選手権では、SP4位につけたが、FSでジャンプが乱れ順位を2つ下げ6位に終わった。
2016-2017シーズン
オータムクラシックでSPの自己ベストを更新し3位につけた。FSでは順位を1つ下げ4位に終わり表彰台を逃した。ゴールデンスピンではSP・FS・総合得点共に自己ベストを更新し銅メダルを獲得。2012年ニース杯以来の国際大会での表彰台となった。カナダ選手権ではSP8位から巻き返し5位となった。
2017-2018シーズン、平昌オリンピック出場
オータムクラシックではSP自身初めて80点を超え自己ベストを更新し4位発進。FSも161.97と自己ベストを16点以上更新した。総合得点も自己ベストを大きく更新し、ハビエル・フェルナンデス、羽生結弦に次ぐ3位に入った。カナダ選手権では初表彰台となる銀メダルを獲得し、平昌オリンピック代表に選出された。同大会では個人戦に出場し12位。初出場の世界選手権では8位の成績を残した。
2018-2019シーズン
ネーベルホルン杯ではカナダ移籍以降初の国際大会優勝を果たした。スケートカナダでは銀メダルを獲得し、ISU主催のシニアの国際大会で初めて表彰台に立った。ロステレコム杯では5位に終わり、グランプリファイナル進出を逃した。しかしながら、羽生結弦の負傷により繰り上がり出場が決まった。カナダ勢は、1999-2000シーズンよりシニアクラスのいずれかのカテゴリーにグランプリファイナル進出者を送りこんでおり、20年ぶりの出場者ゼロの事態は回避された。カナダ選手権では3位、初出場の四大陸選手権では4位となった。世界選手権では前年より大きく順位を下げ15位に終わった。
2019-2020シーズン
SPには結婚式で踊った思い出の曲、エド・シーランの"Perfect"を選択した[2]。オータムクラシックでは銅メダルを獲得。大会直後には弟のパクソンを亡くす不幸に見舞われた。スケートアメリカではSPの自己ベストを更新し3位につけるも、FSではジャンプのミスが重なり総合4位に順位を下げた。エキシビションでは、愛弟に別れを告げる演技を披露した[5]。四大陸選手権ではSPで4位につけるも、FSではジャンプのミスや転倒が相次ぎ8位。総合8位となった。
2020-2021シーズン
2020-2021シーズンのグランプリシリーズは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な感染拡大の影響で、出場を地元選手や開催国に拠点を置く選手らに制限する変則開催となった。アラスカを拠点としているメッシングはスケートアメリカに出場。3位に入り、グランプリシリーズにおける二度目のメダルとなる銅メダルを獲得した。世界選手権ではミスのない好調な演技を見せSP5位発進。FSでも4回転トウループ2本を成功させ自己最高位となる総合6位入賞。2022年北京オリンピックにおけるカナダ男子シングルの出場枠1と、オリンピック出場枠最終予選会である2021年ネーベルホルン杯で2枠目を獲得するチャンスを得て、オリンピックの出場枠2へ望みをつないだ。
2021-2022シーズン、北京オリンピック出場
グランプリシリーズはスケートカナダで5位、フランス国際で6位。オリンピック代表選考会であるカナダ選手権では、拠点であるアラスカから開催地オタワに向かう途中でスケート靴がロストバゲージに遭うというアクシデントに見舞われ、公式練習には、買ったばかりの靴で参加した。靴は試合本番までには届き、ジャンプなどのミスはあったもののアクシデントの影響を感じさせない演技で大会初優勝。2位のローマン・サドフスキーとともにオリンピック代表に選ばれた。
北京オリンピック
団体戦への出場も予想されていたが、北京への渡航に必要なPCR検査に時間を要し団体戦の日程に間に合わなかった[6]。団体戦の2日後から行われる個人戦への出場も危ぶまれていたが、2月7日には北京へ到着し、8日の個人戦SPには何とか間に合った[7]。結果は11位。トップ10入りはならなかったが、前回の平昌五輪から一つ順位を上げた。大会最終日に開催されるエキシビションに招待され、演技を披露。試合のプログラムには組み込むことが禁止されているバックフリップなどを披露し大いに会場を沸かせた[8]。
2022-2023シーズン
今季限りでの競技からの引退を表明している[9]。競技引退後は、ショーでの演技や地元の消防隊での活動を希望しているとのこと[10]。
Remove ads
主な戦績
要約
視点
カナダ代表(2014-15シーズンから)
アメリカ代表(2013-14シーズンまで)
- J - ジュニアクラス
- N - ノービスクラス
詳細
Remove ads
プログラム使用曲
要約
視点
Remove ads
脚注
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads