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コーセイ
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コーセイ[1]は日本の競走馬、繁殖牝馬。主な勝ち鞍に1989年の中山記念、1987年の報知杯4歳牝馬特別など。1986年度の優駿賞最優秀3歳牝馬に選出された。また、出自が430万円で馬主に頒布された抽せん馬と呼ばれる競走馬ながら、重賞4勝を挙げクラシックでも好走したため「抽せん馬の星」とも呼ばれた[3]。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
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経歴
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[5]
1986年10月4日、東京競馬場での新馬戦でデビューし、8馬身差で1着[6]。2走目のいちょう特別はメリーナイスの5着となったが、続く抽せん馬特別競走を6馬身差で勝利し、年末のテレビ東京賞3歳牝馬ステークスも7番人気で勝利[6]。3歳時は4戦して重賞1つを含む3勝とし、1986年度の優駿賞最優秀3歳牝馬に選ばれた[6]。4歳となり、初戦のクイーンカップでナカミジュリアンの2着となったのち西下して報知杯4歳牝馬特別で重賞2勝目。桜花賞ではマックスビューティとは差のない2番人気に支持され、レースでも2着に入る[7]。続く優駿牝馬ではマックスビューティの4着に入ったが、その後骨折による1年近い休養に入る[6]。
1988年4月、復帰戦となる新潟競馬場の谷川岳ステークスでガルダンの2着に入り、新潟大賞典4着を経て出走の七夕賞で重賞3勝目を挙げた[6]。続く3戦は関屋記念10着、休み明けの愛知杯7着、有馬記念ではオグリキャップの10着として6着以下の成績が続いたが、1989年を迎えてアメリカジョッキークラブカップ4着、目黒記念5着を経て出走の中山記念を9番人気で勝利して重賞4勝目とした[6]。続く安田記念でバンブーメモリーの8着に入ったのが最後の競馬となった。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[5]、netkeiba.com[8]に基づく。
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引退後
競走馬引退後はタイヘイ牧場で繁殖牝馬となり、2003年に繁殖生活から引退。以後は引退名馬けい養展示事業の助成を受け、北海道浦河町の渡辺牧場で余生を過ごしていた[3]。功労馬時代には、同じく渡辺牧場に居たナイスネイチャの母ウラカワミユキと仲がよく、年上のウラカワミユキが頼るように寄り添っていたという[3]。2014年6月15日未明に立てなくなっていたところを発見され、朝に安楽死の処置がとられた[2][3]。産駒は目立った成績を残さなかったが、8番仔トゥギャザーアゲンは日本のみならず韓国でも競走生活を送った。
産駒一覧
血統表
コーセイの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | オリオール系 |
[§ 2] | ||
父 タイテエム 1969 鹿毛 |
父の父 *セントクレスピンSaint Crespin 1956 栗毛 |
Aureole | Hyperion | |
Angelola | ||||
Neocracy | Nearco | |||
Harina | ||||
父の母 *テーシルダTehsilda 1963 黒鹿毛 |
*ヴェンチア Venture |
Relic | ||
Rose o'Lynn | ||||
Temoignage | Tulyar | |||
Mehmany | ||||
母 ハマノルーフ 1970 栗毛 |
*サンプルーフ Sunproof 1959 栗毛 |
Alycidon | Donatello | |
Aurora | ||||
Sonsa | Hyperion | |||
Duplicity | ||||
母の母 ボストホマレ1958 鹿毛 |
ボストニアン | *セフト | ||
神正 | ||||
テツノホマレ | 大鵬 | |||
コロナ | ||||
母系(F-No.) | クレイグダーロツチ(GB)系(FN:11-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Hyperion 4 × 5 ・ 4 =15.63%、Donatello 5 × 4 = 9.38%、Neocracy 3 ・ 5(父内) = 15.63% | [§ 4] | ||
出典 |
- 近親にロングハヤブサ(阪神3歳ステークスなど)、マックスキャンドゥ(報知杯4歳牝馬特別、サンスポ賞4歳牝馬特別)[6]
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脚注
外部リンク
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