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ランニングフリー

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ランニングフリー(欧字名:Running Free1983年4月20日 - 2006年10月)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1986年福島記念1989年日経賞アメリカジョッキークラブカップ。燻銀の苦労人と呼ばれた[2]

概要 ランニングフリー, 欧字表記 ...

1980年代後半から1990年代初頭にかけて中央競馬GI戦線で息の長い活躍を続けた。小説家藤島泰輔の代表所有馬。

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経歴

競走馬時代

1985年9月に中山でデビュー。年を越して4戦目の未勝利戦で初勝利を挙げた。4戦を経て5月に2勝目を挙げるが、その後は秋まで900万下条件で走り続けた。しかし10月の津久井特別で3勝目を挙げると、格上挑戦となった次走のG3福島記念で50キロの軽ハンデを活かして勝利し、オープン馬となった。馬主の希望で次走として有馬記念に登録するが除外となった。

オープン馬となった後は6戦して2度の5着が最高と苦戦を強いられ、1987年2月には獲得賞金規定により準オープン馬に格下げとなった。しかし、直後に内外タイムス杯を2着とした後、芝のオープン戦マーチステークス(当時は中山芝1800のレース、さらにこの年は中山競馬場の改修に伴って、東京競馬場での代替開催)を4馬身差で勝利しオープンに復帰した。次走の春の天皇賞でも、13番人気ながらタマモクロスの2着と健闘し、波乱を演出した。

その後はオープンに定着し、G1戦線で常に掲示板をキープする好走を続けた。7歳時にはアメリカジョッキークラブカップ日経賞とG2を2連勝するなど活躍した。この日経賞が最後の勝利となったものの、その後も中長距離路線を走り続け、9歳になった年頭のアメリカジョッキークラブカップ3着を最後に引退した。 華々しい活躍こそなかったがコツコツと走り続け、堅実に賞金を稼いでいたことから競走生活の晩年には「馬主孝行」「無事是名馬」の代名詞といわれるようになり、ファンからも愛される存在となった。

競走生活後半の成績において、2度の重賞勝ち、低人気ながら2年連続の有馬記念4着など、中山競馬場に活躍が集中していることから、中山巧者としても注目されるようになったが、福島記念、マーチステークス、春の天皇賞など他場での活躍もあり、陣営はランニングフリーが中山得意という認識はなかったことが、馬主の著書に記されている。

引退後

現役引退後は生まれ故郷の高橋農場で種牡馬となった。成績、血統ともに地味であったことから繁殖牝馬が集まらなかったが、数少ない産駒の中から1997年弥生賞を制したランニングゲイルを輩出して、父子ともに注目を集めた。

2004年12月付で用途変更[3]、種牡馬を引退した。その後、2006年10月に死亡[4]。23歳没。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[5]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
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血統表

ランニングフリー血統(サーゲイロード系(ロイヤルチャージャー系) / アウトクロス(血統表の出典)

*サーペンフロ
Sir Penfro
1971 黒鹿毛
父の父
Sir Ivor
1965 鹿毛
Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Attica Mr. Trouble
Athenia
父の母
Running Blue
1957 栗毛
Blue Peter Fairway
Fancy Free
Run Honey Hyperion
Honey Buzzard

サンマロ
1976 黒鹿毛
*ステューペンダス
Stupendous
1963 青毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Magneto Ambiorix
Dynamo
母の母
*テサロニアン
Thessalonian
1970 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Thetis *ガーサント
Three Rock F-No.22

1つ年上の全姉・ゴールデンローズの曾孫に2013年愛知杯2014年中山牝馬ステークスを制したフーラブライドがいる。

参考文献

  • 藤島 泰輔 『馬主の愉しみ―ランニングフリーと私』 草思社、1991年 ISBN 4-794-20432-9

関連項目

脚注

外部リンク

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