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ザ・ファイター (2010年の映画)

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ザ・ファイター』(原題:The Fighter)は、デヴィッド・O・ラッセル監督、マーク・ウォールバーグ製作・主演による2010年アメリカ映画で、プロボクサーのミッキー・ウォードディッキー・エクランド英語版を描いた伝記・スポーツ映画である。ラッセル監督とウォールバーグのコンビは『スリー・キングス』、『ハッカビーズ』に続いて3度目である。第83回アカデミー賞助演男優賞クリスチャン・ベール)、助演女優賞メリッサ・レオ)の2部門を受賞した。

概要 ザ・ファイター, 監督 ...
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あらすじ

1993年、マサチューセッツ州ローウェル。新人プロ・ボクサーのミッキーは勝ち星も少なく、道路工事で日銭を稼ぐ日々だった。トレーナーは父親違いの兄ディッキーで、母親がマネージャーという密な家庭環境で、一家はどこに行くのも一緒だった。ディッキーは以前は有望なボクサーだったが、今は麻薬に溺れ、犯罪歴も多いホラ吹きだった。そんな兄弟を密着取材に来るケーブルテレビの撮影班。有頂天になったディッキーは、自分の復帰戦の映画撮影だと町の人々に吹聴した。

ファイトマネー欲しさに、ミッキーに過酷な試合を強いる母親とディッキー。ミッキーと相思相愛になったシャーリーンは、兄に支配されたミッキーの生き方を批判した。大手ジムから好条件で招かれ、一人で移籍したいと家族に話すミッキー。ディッキーは大手ジムの給料分の金でミッキーを引き止めようと強盗を働き、警官隊と乱闘になった。駆け付けて巻き込まれ、右の拳を骨折するミッキー。

刑務所に入り、囚人たちと共にテレビで自分の密着番組を観るディッキー。それは「薬物汚染」のドキュメントで、ディッキーは身を滅ぼした中毒患者の実例でしかなかった。さすがにショックを受け、我が身の現実を思い知るディッキー。

一度は引退を考えたものの、ミッキーは別のトレーナーの元で復帰した。だが、新しい戦法では勝てず、兄が正しかったことを今更ながらに痛感するミッキー。やがて出所したディッキーは弟の元へ戻り、団結した兄弟は、遂にウェルター級チャンピオンに輝くのだった。

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キャスト

※括弧内は日本語吹替

ディッキーとは違いボクサーとしては大成していない。複雑な家庭環境で辟易している。
ミッキーの異父兄。12歳の頃にボクシングを始めたが、年齢と名前をごまかしていた。シュガー・レイ・レナードからダウンを奪ったこともあり、当人も自慢している。「ローベルの誇り」と言われるほど、地域の期待を一身に背負い、才気溢れるボクサーだが、短気で怠惰な性格から破綻した毎日を送っている。そしてドラッグに手を出してしまう。落ちぶれてしまったものの、身内に対する愛情は失っておらず、弟のことも今でも気にかけている。
バーで働く女性。ミッキーと仲良くなる。
ミッキーとディッキーの母。ミッキーのマネージャーも務める。
ミッキーの父。
  • “リトル・アリス”・エクランド - メリッサ・マクミーキン(羽飼まり
  • キャシー・“ポーク”・エクランド - ビアンカ・ハンター英語版
  • シンディ・“タール”・エクランド - エリカ・マクダーモット英語版
  • ドナ・エクランド・ジョインズ - ジル・クイッグ
  • ゲイル・“レッドドッグ”・エクランド - デンドリー・テイラー(平野夏那子
  • フィリス・“ビーヴァー”・エクランド - ケイト・B・オブライエン
  • シェリー・ウォード - ジェナ・ラミア英語版
  • サル・ラナノ - フランク・レンズーリ英語版
タクシー会社の社長。
  • ゲイリー・“ブー・ブー”・ギウフリダ - ポール・キャンベル
  • ケイシー・ウォード - ケイトリン・ドワイヤー
  • カレン - シャンティ・ソク (横川明代)
  • ルウ・ゴールド - テッド・アーチディ英語版
  • マイク・トマ - ロス・ビッケル(勝部演之
ジムの経営者。ミッキーをジムにスカウトする。
その他日本語吹替
丸山壮史竹本英史伊丸岡篤水野ゆふ榊原奈緒子中司ゆう花牛田裕子町田政則坂本くんぺい菊本平佐々木啓夫牛山裕樹西尾将國分和人
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製作

2003年7月にスカウト・プロダクションズが映画化権を手に入れた。ポール・タマシーとエリック・ジョンソンが脚本執筆の為に雇われ[2]、ルイス・コーリックによって書き直された[3]。2005年前半にマーク・ウォールバーグが製作に参加し[4]、「非現実的な格闘シーンにはしたくない」と語った[5]。2007年2月、アメリカの配給のパラマウント映画は、兄弟愛と救済のテーマを強調する目的でコリックの草稿を書き直すためにポール・アタナシオを雇った。ウォルバーグは2007年6月にマサチューセッツ州での製作開始を望み[3]マーティン・スコセッシに監督させるために脚本を読ませたが、断られてしまった[6]。2007年3月にダーレン・アロノフスキーが監督として雇われ[7]、9月にはスコット・シルヴァーがリライトの為に雇われた[8]

撮影は2008年10月開始が予定されていた[9]。 当初、ディッキーはマット・デイモンが演じる予定だったがスケジュールの都合で降板し、次の候補となったブラッド・ピットもまた『イングロリアス・バスターズ』への出演を理由に降板。最終的にクリスチャン・ベールが務めることとなった[10][11]。また、アロノフスキーは『ロボコップ』のリメイクに取り掛かるために監督を降板した[12][13]。ウォルバーグとベールはアロノフスキーの代わりにデヴィッド・O・ラッセルを選んだ[10]。アロノフスキーは製作総指揮として本作に係わり続けることとなった[13]。2009年4月、レラティビティ・メディアが出資に名乗りを上げ[14]、翌月にはワインスタイン・カンパニーが国際配給権を購入した[15]。2009年7月13日より、33日間の予定、1100万ドルの予算の下で主要撮影を開始した[10]

撮影はマサチューセッツ州ローウェルで行われた。ボクシングの試合のシーンはツォンガス・センターなどで撮影された[16][17]。マーク・ウォールバーグは役作りの為にトレーナーを雇い、その結果この映画の出演料よりも50万ドル多くのギャラを彼らに支払った[18]

実話の映画化

  • 映画のクライマックスとして描かれたライトウェルター級王座戦のWBU(世界ボクシング連合)はプロボクシングの世界では認知度の低いマイナー団体であり、WBUの王座になったところで誰もミッキーには注目していなかった。ミッキーのボクシング人生が真に輝くのは、その後、"稲妻"の異名を持つアルツロ・ガッティと繰り広げた死闘である。[19]

評価

批評

Rotten Tomatoesでの評論家の支持率は89%(163名中145名)で、平均点は10点満点で7.9点である[20]Metacriticでは39のレビュー中肯定的なものが33で、平均点は100点満点で78点だった[21]。『スポーツ・イラストレイテッド』は、過去10年間で最高のスポーツ映画と評した[22]

興行成績

2010年12月10日に北米4館で限定公開され、初週末3日間で30万0010ドルを稼いだ[23]

受賞歴

さらに見る 賞, 授賞式 ...
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参考文献

外部リンク

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