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シンシア・ファヌフ

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シンシア・ファヌフ
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シンシア・ファヌフフランス語: Cynthia Phaneuf, 1988年1月16日[2] - )は、カナダ出身の女性フィギュアスケート選手。2010年バンクーバーオリンピックカナダ代表。2004年四大陸選手権銀メダリスト。

概要 シンシア・ファヌフ Cynthia Phaneuf, 生誕 ...
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人物

2013年、恋人であるフィラデルフィア・フライヤーズのアイスホッケー選手、マキシム・タルボットの間に妊娠[3]。2014年2月27日に男児を出産した。

2014年7月12日、タルボットと挙式を執り行った[4]

経歴

要約
視点

ケベック州のソレルで生まれ、4歳のときにスケートをはじめた。2001年4月、初めての国際大会となるトリグラフトロフィーのノービスクラスに出場し2位となる。

2001-2002シーズンからジュニアクラスに移行し、ISUジュニアグランプリに参戦。初戦のJGPハーグで優勝を飾り、JGPSBC杯では5位に終わったもののカナダ女子シングル選手として2人目のJGPファイナルへ進出した。JGPファイナルでは7位。翌2002-2003シーズン以降もISUジュニアグランプリに参戦し、2度表彰台に上ったがJGPファイナルへ進出することはなかった。一方、カナダ選手権には同シーズン以降シニアクラスに出場した。

2003-2004シーズン、カナダ選手権で初優勝を飾り、四大陸選手権では2位となったが、世界選手権の代表には選出されなかった。翌2004-2005シーズンからシニアクラスに完全移行し、ISUグランプリシリーズに出場。初戦のスケートアメリカで2位、スケートカナダでは初優勝を飾り、同じカナダのジョアニー・ロシェットとともにカナダ女子シングル選手として1995-1996シーズンのジョゼ・シュイナール以来となるGPファイナル進出を果たした。GPファイナルではショートプログラムから精彩を欠き6位に留まった。2連覇を目指した2005年カナダ選手権では2位となったが、初の世界選手権代表に選出された。世界選手権では、ショートプログラムもフリースケーティングも振るわず20位に終わる。翌2005-2006年シーズンはトリノオリンピックシーズンでもあったが、ケガのために競技会へ進出することはなかった。

2007-2008シーズン、3シーズンぶりに出場したグランプリシリーズのスケートカナダでは10位に沈み振るわなかったものの、カナダ選手権では3位となり復活を果たした。2009年カナダ選手権では2位となり、4シーズンぶりに世界選手権に出場した。2009-2010シーズンのカナダ選手権では2年連続の2位になり、オリンピックに初出場。ジョアニー・ロシェットが出場を辞退した世界選手権では自己最高の5位となり、世界選手権の出場枠2を維持した。

2010-2011シーズン、グランプリシリーズは2大会ともに4位。カナダ選手権は7年ぶりに優勝を果たした。世界選手権は13位と前年から大きく順位を下げ、あと一歩のところで来年の枠を2枠確保することはできなかった。

2011-2012シーズン、コーチをブライアン・オーサーに変更[5]。カナダ選手権ではアメリー・ラコステに敗れ連覇はならなかった。四大陸選手権では0.18ポイントの差でラコステに敗れ、4年ぶりに世界選手権の代表を逃した。シーズンを通してジャンプが不安定で、国際大会でトリプルルッツジャンプを成功することは一度も無かった。

2012年9月26日、引退を発表。引退後はイザベル・ブラスールの元でコーチとしての仕事をしていく[6]

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主な戦績

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詳細

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プログラム使用曲

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脚注

参考文献

外部リンク

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