| 日付 | 
事項 | 
 
| 1917年10月10日[23日] | 
アンドレイ・ブーブノフ(英語版)、グリゴリー・ジノヴィエフ、レフ・カーメネフ、ウラジーミル・レーニン、グリゴリー・ソコリニコフ、ヨシフ・スターリン、レフ・トロツキーが中央委員会政治局の局員に選出される。 | 
 
| 1917年11月7日 | 
ペトログラードにおけるボリシェビキ革命(旧暦:10月25日)成功の後、政治局は機能を停止する。 | 
 
| 1919年3月25日 | 
カーメネフ、ニコライ・クレスチンスキー、レーニン、スターリン、トロツキーが中央委員会総会で正局員に選出。ニコライ・ブハーリン、ジノヴィエフ、ミハイル・カリーニンが局員候補に選出。 | 
 
| 1919年7-9月 | 
政治局と組織局の合意により、中央委員会主任書記エレーナ・スタソヴァが、1919年7月から9月まで、一時的に政治局に加わった。 | 
 
| 1920年4月5日 | 
カーメネフ、クレスチンスキー、レーニン、スターリン、トロツキーが中央委員会総会で正局員に選出。ブハーリン、ジノヴィエフ、カリーニンが局員候補に選出。 | 
 
| 1921年3月16日 | 
ジノヴィエフ、カーメネフ、レーニン、スターリン、トロツキーが中央委員会総会で正局員に選出。ブハーリン、カリーニン、ヴャチェスラフ・モロトフ が局員候補に選出。 | 
 
| 1922年4月3日 | 
ジノヴィエフ、カーメネフ、レーニン、アレクセイ・ルイコフ、スターリン、ミハイル・トムスキー、トロツキーが中央委員会総会で正局員に選出。ブハーリン、カリーニン、モロトフが局員候補に選出。 | 
 
| 1923年4月26日 | 
ジノヴィエフ、カーメネフ、レーニン、ルイコフ、スターリン、トムスキー、トロツキーが中央委員会総会で正局員に選出。ブハーリン、カリーニン、モロトフ、ヤン・ルズタークが局員候補に選出。 | 
 
| 1924年1月21日 | 
レーニン死去 | 
 
| 1924年6月2日 | 
ブハーリン、ジノヴィエフ、カーメネフ、ルイコフ、スターリン、トムスキー、トロツキーが中央委員会総会で正局員に選出。フェリックス・ジェルジンスキー、カリーニン、モロトフ、ルズターク、ソコリニコフ、ミハイル・フルンゼが局員候補に選出。 | 
 
| 1925年10月31日 | 
フルンゼ死去 | 
 
| 1926年1月1日 | 
ブハーリン、クリメント・ヴォロシーロフ、ジノヴィエフ、カリーニン、モロトフ、ルイコフ、スターリン、トムスキー、トロツキーが中央委員会総会で正局員に選出。ジェルジンスキー、カーメネフ、グリゴリー・ペトロフスキー、ルズターク、ニコライ・ウグラーノフ(英語版)が局員候補に選出。 | 
 
| 1926年7月20日 | 
ジェルジンスキー死去 | 
 
| 1926年7月23日 | 
ジノヴィエフが中央委員会総会で解任。ルズタークが正局員に選出。局員候補に再選されたのは以下:アンドレイ・アンドレーエフ、ラーザリ・カガノーヴィチ、カーメネフ、セルゲイ・キーロフ、アナスタス・ミコヤン、グリゴリー・オルジョニキーゼ、ペトロフスキー、ウグラーノフ。 | 
 
| 1926年10月23日 | 
トロツキー、カーメネフが中央委員会・中央統制委員会合同総会で解任。 | 
 
| 1926年11月3日 | 
オルジョニキーゼが中央委員会・中央統制委員会合同総会で解任。ヴラス・チュバーリが局員候補に選出。 | 
 
| 1927年12月19日 | 
ブハーリン、ヴォロシーロフ、カリーニン、ヴァレリヤン・クイビシェフ、モロトフ、ルイコフ、ルズターク、スターリン、トムスキーが中央委員会総会で正局員に選出。アンドレーエフ、カガノーヴィチ、キーロフ、スタニスラフ・コシオール、ミコヤン、ペトロフスキー、ウグラーノフ、チュバーリが局員候補に選出。 | 
 
| 1929年4月29日 | 
ウグラーノフが中央委員会総会で解任。カール・バウマン(ロシア語版)が局員候補に選出。 | 
 
| 1929年6月21日 | 
セルゲイ・スイルツォフ(英語版)が中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1929年11月17日 | 
ブハーリンが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1930年7月13日 | 
ヴォロシーロフ、カガノーヴィチ、カリーニン、キーロフ、コシオール、クイビシェフ、モロトフ、ルズターク、ルイコフ、スターリンが中央委員会総会で正局員に選出。アンドレーエフ、ミコヤン、ペトロフスキー、スルツォフ、チュバーリが局員候補に選出。 | 
 
| 1930年12月1日 | 
スルツォフが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1930年12月21日 | 
ルイコフ、アンドレーエフが中央委員会・中央統制委員会合同総会で解任。オルジョニキーゼが正局員に選出。 | 
 
| 1932年2月4日 | 
ルズタークが中央委員会総会で解任。アンドレーエフが正局員に選出。 | 
 
| 1934年2月10日 | 
アンドレーエフ、ヴォロシーロフ、カガノーヴィチ、カリーニン、キーロフ、コシオール、クイビシェフ、モロトフ、オルジョニキーゼ、スターリンが中央委員会総会で正局員に選出。ミコヤン、ペトロフスキー、パーヴェル・ポスティシェフ、ルズターク、チュバーリが局員候補に選出。 | 
 
| 1934年12月1日 | 
キーロフ暗殺 | 
 
| 1935年1月25日 | 
クイビシェフ死去 | 
 
| 1935年2月1日 | 
ミコヤン、チュバーリが中央委員会総会で正局員に選出。アンドレイ・ジダーノフ、ロベルト・エイヘ(英語版)が局員候補に選出。 | 
 
| 1937年2月18日 | 
オルジョニキーゼ自殺 | 
 
| 1937年5月26日 | 
ルズタークは5月25日逮捕の後、中央委員会および党から追放。 | 
 
| 1937年10月12日 | 
ニコライ・エジョフ が中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1938年1月14日 | 
ポスティシェフが中央委員会総会で解任。ニキータ・フルシチョフが局員候補に選出。 | 
 
| 1938年4月29日 | 
エイヘ逮捕 | 
 
| 1938年5月3日 | 
コシオール逮捕 | 
 
| 1938年6月16日 | 
チュバーリが政治局決定で解任。 | 
 
| 1939年3月22日 | 
アンドレーエフ、ヴォロシーロフ、ジダーノフ、カガノーヴィチ、カリーニン、ミコヤン、モロトフ、スターリン、フルシチョフが中央委員会総会で正局員に選出。ラヴレンチー・ベリヤ、ニコライ・シュヴェルニクが局員候補に選出。 | 
 
| 1941年2月21日 | 
ニコライ・ヴォズネセンスキー、ゲオルギー・マレンコフ、アレクサンドル・シチェルバコフ(英語版)が中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1945年5月10日 | 
シチェルバコフ死去 | 
 
| 1946年3月18日 | 
ベリヤ、マレンコフが中央委員会総会で正局員に選出。ニコライ・ブルガーニン、アレクセイ・コスイギンが局員候補に選出。 | 
 
| 1946年6月3日 | 
カリーニン死去 | 
 
| 1947年2月26日 | 
ヴォズネセンスキーが中央委員会総会で正局員に選出。 | 
 
| 1948年2月18日 | 
アンケートにより、ブルガーニンの正会員選出を確認。 | 
 
| 1948年8月31日 | 
ジダーノフ死去 | 
 
| 1948年9月4日 | 
アンケートにより、コスイギンの正会員選出を確認。 | 
 
| 1949年3月7日 | 
ヴォズネセンスキー解任。 | 
 
| 1952年10月16日 | 
アンドリアーノフ、アヴェルキイ・アーリストフ(英語版)、ベリヤ、ブルガーニン、ヴォロシーロフ、イグナチョフ、カガノーヴィチ、コロチェンコ、クズネツォフ、オットー・クーシネン、マレンコフ、マルイシェフ、メルニコフ、ミコヤン、ミハイロフ、モロトフ、ミハイル・ペルヴーヒン(英語版)、ポノマレンコ、サブーロフ、スターリン、ミハイル・スースロフ、フルシチョフ、チェスノコフ、シュヴェルニク、シキリャートフ。局員候補:レオニード・ブレジネフ、アンドレイ・ヴィシンスキー、アルセーニ・ズヴェーレフ(英語版)、イグナトフ、カバノフ、コスイギン、パトリチェフ、ペゴフ、プザーノフ、テヴォーシヤン、ユーディン 非公式の幹部会が以下により組織:ベリヤ、ブルガーニン、ヴォロシーロフ、カガノーヴィチ、マレンコフ、ペルヴーヒン、サブーロフ、スターリン、フルシチョフ | 
 
| 1953年3月5日 | 
スターリン死去 | 
 
| 1953年3月5日 | 
中央委員会、閣僚会議、最高会議幹部会の合同会議により、幹部会の会員に以下が再選出:ベリヤ、ブルガーニン、ヴォロシーロフ、カガノーヴィチ、マレンコフ、ミコヤン、モロトフ、ペルヴーヒン、サブーロフ、フルシチョフ。会員候補:バギーロフ(英語版)、メルニコフ、ポノマレンコ、シュヴェルニク | 
 
| 1953年6月6日 | 
メルニコフが中央委員会総会で解任。アレクセイ・キリチェンコが会員候補に選出。 | 
 
| 1953年7月7日 | 
ベリヤが中央委員会総会で解任。(1953年6月26日逮捕) | 
 
| 1953年7月17日 | 
バギーロフが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1955年7月12日 | 
キリチェンコ、スースロフが中央委員会総会で正会員に選出。 | 
 
| 1956年2月27日 | 
ブルガーニン、ヴォロシーロフ、カガノーヴィチ、キリチェンコ、マレンコフ、ミコヤン、モロトフ、ペルヴーヒン、サブーロフ、スースロフ、フルシチョフ。会員候補:ブレジネフ、ゲオルギー・ジューコフ、ヌリトディン・ムヒトディノフ、フルツェワ、シュヴェルニク、ドミトリー・シェピーロフ | 
 
| 1957年2月14日 | 
フロル・コズロフが中央委員会総会で会員候補に選出。 | 
 
| 1957年6月29日 | 
カガノーヴィチ、マレンコフ、モロトフ、シェピーロフが中央委員会総会で解任。幹部会に以下が再選出:アーリストフ、ベリヤエフ、ブレジネフ、ブルガーニン、ヴォロシーロフ、ジューコフ、イグナトフ、キリチェンコ、コズロフ、クーシネン、ミコヤン、スースロフ、フルツェワ、フルシチョフ、シュヴェルニク。会員候補:カールンベルジン、アンドレイ・キリレンコ、コロチェンコ、コスイギン、マズロフ、ヴァシル・ムジャヴァナゼ、ムヒトディノフ、ペルヴーヒン、ポスペーロフ。 | 
 
| 1957年10月29日 | 
ジューコフが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1957年12月17日 | 
ムヒトディノフが中央委員会総会で正会員に選出。 | 
 
| 1958年6月18日 | 
ニコライ・ポドゴルヌイ、ドミトリー・ポリャンスキーが中央委員会総会で会員候補に選出。 | 
 
| 1958年9月5日 | 
ブルガーニンが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1960年5月4日 | 
ベルヤエフ、キリチェンコが中央委員会総会で解任。コスイギン、ポドゴルヌイ、ポリャンスキーが正会員に選出。 | 
 
| 1960年7月16日 | 
ヴォロシーロフが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1961年1月18日 | 
ゲンナジー・ヴォロノフ、ヴィクトル・グリシンが中央委員会総会で会員候補に選出。 | 
 
| 1961年10月31日 | 
ブレジネフ、ヴォロノフ、コズロフ、コスイギン、クーシネン、ミコヤン、ポドゴルヌイ、ポリャンスキー、スースロフ、フルシチョフ、シュヴェルニク。会員候補:グリシン、マズロフ、ムジャヴァナゼ、シャラフ・ラシドフ、ウラジーミル・シチェルビツキー。 | 
 
| 1962年4月23日 | 
キリレンコが中央委員会総会で正会員に選出。 | 
 
| 1962年11月23日 | 
イェフレモフが中央委員会総会で会員候補に選出。 | 
 
| 1963年12月13日 | 
シチェルビツキーが中央委員会総会で解任。ペトロ・シェレストが会員候補に選出。 | 
 
| 1964年5月17日 | 
クーシネン死去 | 
 
| 1964年10月14日 | 
フルシチョフが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1964年11月16日 | 
コズロフが中央委員会総会で解任。シェレーピン、シェレストが正会員に選出。デミチェフが会員候補に選出。 | 
 
| 1965年3月26日 | 
キリル・マズロフが中央委員会総会で正会員に選出。ウスチノフが会員候補に選出。 | 
 
| 1965年12月6日 | 
シチェルビツキーが中央委員会総会で会員候補に再度選出。 | 
 
| 1966年4月8日 | 
ブレジネフ、ヴォロノフ、キリレンコ、コスイギン、マズロフ、ペーリシェ、ポドゴルヌイ、ポリャンスキー、スースロフ、シェレーピン、シェレストが中央委員会総会で正局員に選出。グリシン、デミチェフ、クナーエフ、マシェロフ、ムジャヴァナゼ、ラシドフ、ウスチノフ、シチェルビツキーが局員候補に選出。 | 
 
| 1967年6月21日 | 
アンドロポフが中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1971年4月9日 | 
ブレジネフ、ヴォロノフ、グリシン、キリレンコ、コスイギン、クラコフ、クナーエフ、マズロフ、ペーリシェ、ポドゴルヌイ、ポリャンスキー、スースロフ、シェレーピン、シェレスト、シチェルビツキーが中央委員会総会で正局員に選出。アンドロポフ、デミチェフ、マシェロフ、ムジャヴァナゼ、ラシドフ、ウスチノフが局員候補に選出。 | 
 
| 1971年11月23日 | 
ソロメンツェフが中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1972年5月19日 | 
ボリス・ポノマリョフが中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1972年12月18日 | 
ムジャヴァナゼが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1973年4月27日 | 
ヴォロノフ、シェレストが中央委員会総会で解任。アンドロポフ、グレチコ、グロムイコが正局員に選出。ロマノフが局員候補に。 | 
 
| 1975年4月16日 | 
シェレーピンが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1976年3月5日 | 
アンドロポフ、ブレジネフ、グレチコ、グリシン、グロムイコ、キリレンコ、コスイギン、クラコフ、クナーエフ、マズロフ、ペーリシェ、ポドゴルヌイ、ロマノフ、スースロフ、ウスチノフ、シチェルビツキーが中央委員会総会で正局員に選出。ヘイダル・アリエフ、デミチェフ、マシェロフ、ポノマリョフ、ラシドフ、ソロメンツェフが局員候補に選出。 | 
 
| 1976年4月26日 | 
グレチコ死去 | 
 
| 1977年5月24日 | 
ポドゴルヌイが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1977年10月3日 | 
クズネツォフ、チェルネンコが中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1978年7月17日 | 
クラコフ死去 | 
 
| 1978年11月27日 | 
マズロフが中央委員会総会で解任。チェルネンコが正局員に選出。チーホノフ、シェワルナゼが局員候補に選出。 | 
 
| 1979年11月27日 | 
チーホノフが中央委員会総会で正局員に選出。ゴルバチョフが局員候補に選出。 | 
 
| 1980年10月4日 | 
マシェロフが自動車事故死。 | 
 
| 1980年10月21日 | 
コスイギンが中央委員会総会で解任。ゴルバチョフが正局員に、キセリョーフが局員候補に選出。 | 
 
| 1981年3月3日 | 
 アンドロポフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ、グリシン、グロムイコ、キリレンコ、クナーエフ、ペーリシェ、ロマノフ、スースロフ、チーホノフ、ウスチノフ、チェルネンコ、シチェルビツキーが中央委員会総会で正局員に選出。アリエフ、デミチェフ、キセリョーフ、クズネツォフ、ポノマリョフ、ラシドフ、ソロメンツェフ、シェワルナゼが局員候補に選出。 | 
 
| 1982年1月25日 | 
スースロフ死去 | 
 
| 1982年5月24日 | 
ドルギフが中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1982年11月10日 | 
ブレジネフ死去 | 
 
| 1982年11月22日 | 
キリレンコが中央委員会総会で解任。アリエフが正局員に選出。 | 
 
| 1983年1月11日 | 
キセリョーフ死去 | 
 
| 1983年5月29日 | 
ペーリシェ死去 | 
 
| 1983年6月15日 | 
ウォロトニコフが中央委員会総会で局員候補に選出。 | 
 
| 1983年10月31日 | 
ラシドフ自殺 | 
 
| 1983年12月26日 | 
ウォロトニコフ、ソロメンツェフが中央委員会総会で正局員に選出。チェブリコフが局員候補に選出。 | 
 
| 1984年2月9日 | 
アンドロポフ死去 | 
 
| 1984年12月20日 | 
ウスチノフ死去 | 
 
| 1985年3月10日 | 
チェルネンコ死去 | 
 
| 1985年4月23日 | 
リガチョフ、ルイシコフ、チェブリコフが中央委員会総会で正局員に選出。セルゲイ・ソコロフが局員候補に選出。 | 
 
| 1985年7月1日 | 
ロマノフが中央委員会総会で解任。シェワルナゼが正局員に選出。 | 
 
| 1985年10月15日 | 
チーホノフが中央委員会総会で解任。ニコライ・タルイジンが局員候補に選出。 | 
 
| 1986年2月18日 | 
グリシンが中央委員会総会で解任。ボリス・エリツィンが局員候補に選出。 | 
 
| 1986年3月6日 | 
アリエフ、ウォロトニコフ、ゴルバチョフ、グロムイコ、ザウコフ、クナーエフ、リガチョフ、ルイシコフ、ソロメンツェフ、チェブリコフ、シェワルナゼ、シチェルビツキーが中央委員会総会で正局員に選出。デミチェフ、ドルギーフ、エリツィン、スリュニコフ、S.ソコロフ、ソロヴィヨフ、タルイジンが局員候補に選出。 | 
 
| 1987年1月28日 | 
クナーエフが中央委員会総会で解任。アレクサンドル・ヤコブレフが局員候補に選出。 | 
 
| 1987年6月26日 | 
S.ソコロフが中央委員会総会で解任。スリューニコフ、ヤコブレフ、ニコノフが正局員に選出。ヤゾフが局員候補に選出。 | 
 
| 1987年10月21日 | 
アリエフが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1988年2月14日 | 
エリツィンが中央委員会総会で解任。ユーリ・マスリュコフ、ラズモヴィスキーが局員候補に選出。 | 
 
| 1988年9月30日 | 
グロムイコ、ソロメンツェフ、デミチェフ、ドルギーフが中央委員会総会で解任。メドヴェージェフが正局員に選出。ビリュコワ、ヴラソフ、ルキヤノフが局員候補に選出。 | 
 
| 1989年9月20日 | 
ニコノフ、チェブリコフ、シチェルビツキー、ソロヴィヨフ、タルイジンが中央委員会総会で解任。クリュチコフ、マスリュコフが正局員に選出。エフゲニー・プリマコフ、ボリス・プーゴが局員候補に選出。 | 
 
| 1989年12月9日 | 
イワシコが中央委員会総会で正局員に選出。 | 
 
| 1990年7月14日 | 
ブロキャヴィチュス、グンバリゼ、ゴルバチョフ、グレンコ、ジャソーホフ、イワシコ、カリモフ、ルチンスキ、マサリエフ、マフカモフ、モフシシャン、ムタリボフ、ナザルバエフ、ニヤゾフ、イワン・ポロスコフ、プロコフィエフ、ルビクス、セミョーノワ、シラーリ、Ye.ソコロフ、エゴール・ストローエフ、フロロフ、シェーニン、ヤナーエフが中央委員会総会で政治局員に選出。 | 
 
| 1990年12月11日 | 
Ye.ソコロフ、モフシシャンが中央委員会総会で解任。マロフェエフ、ポゴシャンが正局員に選出。 | 
 
| 1991年1月31日 | 
グンバリゼ、ヤナーエフが中央委員会・中央統制委員会合同総会で解任。アンヌスが正局員に選出。 | 
 
| 1991年4月25日 | 
マサリエフが中央委員会・中央統制委員会合同総会で解任。アマンバエフ、エレメイ、スルコフが正局員に選出。 | 
 
| 1991年7月26日 | 
ポゴシャンが中央委員会総会で解任。 | 
 
| 1991年8月24日 | 
ソ連8月クーデター失敗の後、エリツィンがソ連共産党の活動を禁止。 |