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ハウデン・ガンレイ

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ハウデン・ガンレイ
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ジェームス・ハウデン・ガンレイJamus Howden Ganley1941年12月24日 - )は、ニュージーランドの元レーシングドライバー・元F1ドライバーである。

概要 ハウデン・ガンレイ, 基本情報 ...

名前の日本語表記は「ハウテン/ホーデン/ホウデン」、「ガンリー/ギャンリー/ギャンレー」など複数存在する。

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経歴

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2014年のグッドウッド・フェスティバルでマキ・F101に乗るガンレイ

ハミルトン生まれ。レースの世界に入ったきっかけは1955年に開催されたニュージーランドグランプリを観戦したことによる[1]

ワイカト・タイムス英語版[2]スポーツカー・イラストレイテッド[2]の記者を経て1960年にレースを始める。

F3を経て1970年ヨーロッパF5000選手権に参戦、チャンピオンのピーター・ゲシンに次ぐシリーズ2位となる[3]

1971年南アフリカグランプリでBRMからF1デビューする。イタリアグランプリで5位に初入賞、優勝したゲシンとのタイム差は0.61秒という接戦だった[4]。アメリカグランプリで4位、非選手権レースのインターナショナル・ゴールドカップでは2位表彰台を獲得[5]する活躍で、シーズン終了後にヴォルフガング・フォン・トリップス・メモリアルトロフィーを獲得した[2]

1972年はドイツグランプリで4位、オーストリアグランプリで6位に入賞するが、オートスポーツ誌に掲載する写真撮影のためポリトイを走行させたことが原因でBRMを解雇された[6]。このほか、スポーツカーレースではル・マン24時間レースマトラからフランソワ・セベールと組んで出場。総合2位を記録した。

1973年にイソ・マールボロに移籍。カナダグランプリで6位に入りこの年唯一のポイントを獲得した。このレースではセーフティカーがガンレイの前に出される[7][8]ミスにより順位が混乱、レース終了当初はガンレイの順位は2位とされていた[9]。1974年は開幕2戦をマーチで参戦したのち、日本の新興コンストラクターであるマキに加入した。イギリスグランプリとドイツグランプリにエントリーしたが、いずれも予選落ちで、ドイツグランプリでは予選中の事故により両足を骨折、結果的にF1出走はこれが最後となった。

1976年に元F1ドライバーのティム・シェンケンとレーシングチーム・コンストラクターのタイガ・レースカーズ英語版を設立し[2]、1987年まで運営に関わった[10]。1976年から1977年までマーチのテストドライバーを務めた[2]。1978年のCan-Am出走を最後にレースを引退した[2]

2014年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードマキ・F101をドライブ[11]、健在ぶりを見せた。

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レース成績

F1

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ル・マン24時間

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出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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