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ヒデとロザンナ
日本の歌唱デュオ ウィキペディアから
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ヒデとロザンナは、日本の歌手。のちに結婚して夫婦デュオとなった。
メンバー
経歴
水木英二としてのソロ時代~ボサノヴァ・デュオ「ユキとヒデ」を経た出門英が、1968年にイタリア出身の少女ロザンナ・ザンボンと「ヒデとロザンナ」を結成。デビュー曲のB面だった『愛の奇跡』に火がつき大ヒット、一躍売れっ子歌手の仲間入りを果たす。1970年に発売された『愛は傷つきやすく』が初のオリコンシングルチャート1位を獲得。売上枚数も『愛の奇跡』を上回る大ヒットとなり、その年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。以降も『ふたりの関係』、『望むものはすべて』、『追想』などヒット曲を生む。
1975年2月に結婚。二男一女に恵まれる。長男は音楽家・画家の士門(しもん)、クリエイター集団風の人、三味線ユニットエツナブメンバー。次男はミュージシャン、バンドsmorgasメンバー(MC)の来門(らいもん)。長女はモデルの万梨音(まりおん)、2004年6月結婚、出産。
1990年6月17日、ヒデが結腸がんにより47歳で逝去。
本土復帰前の沖縄県で放送されていたテレビ番組にヒデとロザンナがゲスト出演した際、アシスタントとして出演していた少女の写真をマネージャーが持ち帰った。その写真がCBS・ソニーの関係者の目に留まり、歌手デビューするきっかけとなった。その少女が、のちの南沙織である[1]。
紅白歌合戦には白組エントリーとなった。
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ディスコグラフィ
- ソロ名義の作品については「出門英#ディスコグラフィ」「ロザンナ・ザンボン#ディスコグラフィ」を参照。
シングル
企画シングル
- ヒデとロザンナ+かずきくん名義
アルバム
オリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
タイアップ曲
未発売曲
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出演
テレビ
NHK紅白歌合戦出場歴
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
ラジオ
CM
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著書
脚注
関連項目
外部リンク
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