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ロベルト・ヘルナンデス (1980年生の投手)

ドミニカ共和国のプロ野球選手(1980-) ウィキペディアから

ロベルト・ヘルナンデス (1980年生の投手)
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ロベルト・ヘレディア・ヘルナンデスRoberto Heredia Hernandez, 1980年8月30日 - )はドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...

以前はファウスト・カーモナFausto Carmona)という偽名でプレーしていた[2]

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経歴

要約
視点

プロ入りとインディアンス時代

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クリーブランド・インディアンス時代
(2011年3月17日)

2000年クリーブランド・インディアンスと契約。

2006年4月15日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビューを果たしたが、防御率7.94の成績で4月30日にマイナーに降格した。5月12日に再び昇格し、7月20日にボブ・ウィックマンアトランタ・ブレーブストレードされたため7月31日から8月5日まで3試合連続でクローザーとして起用されたが、セーブを記録することができずにいた。デビュー戦の1勝だけでその後は球団史上33年ぶりのシーズン10連敗となってしまった[3]

2007年シーズン最初の登板となった4月13日は負け投手となり昨シーズンからの連敗が11と球団史上ワースト3位タイとなったが、4月27日からはこの年5位タイの7連勝を記録した[4]オールスター以後の防御率は2.26とメジャー全体で1位となった[4]。7月はエリック・ベダードの次点だったが、9月に5戦5勝をマークし初のピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞した[4]サバシアとともに19勝してチームの6年ぶり地区優勝に貢献した。サイ・ヤング賞の投票では4位に入った[2]。なお、この年6月までチームメートに「本家」ロベルト・ヘルナンデスが在籍していた。

2008年4月10日に球団と4年総額1,500万ドルで契約した。2012年から2014年にかけては球団のオプションでこれを含めると最大7年総額4,800万ドルの長期契約となる[5]。しかし、この契約後は期待に応えられず、2009年は期待を裏切るシーズンになった。

2010年は3年ぶりに30先発、200イニングの大台をクリアして復活を遂げた。自身初のオールスター出場も果たしている。

2011年開幕投手を任された。6月11日のニューヨーク・ヤンキース戦でマーク・テシェイラに死球を当て、あわや乱闘になりかけた。この際、両監督も口論となった。この年は防御率5点台で15敗を喫するなど2009年までの低調な成績に逆戻りしてしまった。しかしインディアンスは10月31日に2012年の700万ドルのオプションを行使し、残留が決まった[2]

2012年1月18日、ビザ偽装が発覚してドミニカ共和国内で逮捕された。「ファウスト・カーモナ」という偽名と共に年齢を3歳若く偽っていたことも発覚した(それまでは1983年12月7日生まれとされていたが、実際は1980年生まれだった)[2]。球団は1月26日にカーモナを制限リスト入りさせた[6]。7月21日にビザを「ロベルト・ヘルナンデス」として正式に取得し[7]、メジャーリーグでプレー可能になったため、MLB機構から21試合の出場停止処分が発表された。8月14日に制限リストから復帰し、3試合に登板したが、0勝3敗・防御率7.53と結果を残せず、8月28日には右足首の怪我で故障者リスト入りした。レギュラーシーズン最終戦後に故障者リストから復帰したため、この年は3試合の登板にとどまった。オフの10月31日にFAとなった。

レイズ時代

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タンパベイ・レイズ時代
(2013年4月16日)

2012年12月18日にタンパベイ・レイズと325万ドル+出来高185万ドルの1年契約を結んだ[8]

2013年は32試合に登板し、6勝13敗1セーブ・防御率4.89だった。オフの10月31日にFAとなった。

フィリーズ時代

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フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2014年8月1日)

2013年12月18日にフィラデルフィア・フィリーズと1年契約に合意した[9]

2014年は開幕ロースター入りし、開幕後は23試合に登板。6勝8敗・防御率3.87だった。

ドジャース時代

2014年8月7日に後日発表選手[10]とのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[11]。移籍後は9試合に登板し、2勝3敗・防御率4.74だった。オフの10月30日にFAとなった。

アストロズ時代

2015年2月12日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結び[12]、4月4日にメジャー契約を結んで25人枠入りする。7月30日にジェド・ラウリーの故障者リストからの復帰に伴ってDFAとなり[13]、8月8日に自由契約となる。

ブルージェイズ傘下時代

2015年12月18日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ[14]。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。

2016年3月28日に一旦自由契約となった[15]後、4月20日に再びマイナー契約を結んだ[16]。傘下のAAA級バッファロー・バイソンズでプレーしていたが、7月3日に自由契約となった[17]

ブレーブス時代

2016年7月15日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスへ配属された[14]。8月6日にメジャー契約を結んで25人枠入りし、同日のセントルイス・カージナルス戦で先発して5回3失点の投球でシーズン初勝利を挙げた[18]が、12日にDFAとなり[19]、15日に40人枠を外れる形でAAA級グウィネットへ配属された。10月4日にFAとなった[14]

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詳細情報

年度別投手成績

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年度別守備成績

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獲得タイトル・表彰・記録

背番号

  • 55(2006年 - 2012年、2014年途中 - 同年終了)
  • 40(2013年)
  • 27(2014年 - 同年途中)
  • 56(2015年)
  • 32(2016年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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