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マイク・マーシャル (投手)
アメリカの野球選手 (1943 - 2021) ウィキペディアから
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マイケル・グラント・マーシャル(Michael Grant Marshall, 1943年1月15日 - 2021年6月1日)[1]は、アメリカ合衆国ミシガン州エイドリアン出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
地元のエイドリアン高校(Adrian High School)卒業後、ミシガン州立大学で学ぶ[2]。1960年9月13日にフィラデルフィア・フィリーズと契約。当初は遊撃手で、後に投手に転向した。1966年4月11日にデトロイト・タイガースへ移籍。1967年5月31日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。1勝3敗10セーブ・防御率1.98を記録した。1968年はAAA級トレドで15勝9敗・防御率2.94・190奪三振を記録するがメジャー昇格はならず、オフにエクスパンションドラフトでシアトル・パイロッツに移籍。その後、ヒューストン・アストロズを経てモントリオール・エクスポズに移籍しクローザーに定着。1972年は65試合に登板し、防御率1.78。1973年は92試合に登板し、14勝11敗31セーブ、防御率2.66を記録。サイ・ヤング賞の投票ではトム・シーバーに次ぐ2位だった。
1973年オフにウィリー・デービスとのトレードでロサンゼルス・ドジャースに移籍。
1974年4月8日、アトランタ・ブレーブスのハンク・アーロンが、ドジャースのアル・ダウニングからベーブ・ルースの記録を破る通算715号本塁打を打った。その後ダウニングは四球で2人を歩かせ降板。その後リリーフ登板したのがマーシャルだった。ドジャースでの初の登板であり、106試合登板の1試合目であった。
6月21日から23日に行われたサンフランシスコ・ジャイアンツとの3連戦では、3連投3連勝を記録している。同年、メジャー最多記録の106試合に登板し、15勝12敗21セーブ、防御率2.42で、リリーフ投手として初めてサイ・ヤング賞を受賞した[3]。また、リリーフ最多投球イニング208回1/3、13試合連続登板のメジャー記録も作った。同年のワールドシリーズにでは5試合すべてにリリーフ登板し、計9イニングを1失点に抑えたが、チームはオークランド・アスレチックスに1勝4敗で敗れた。
その後、成績が下降し数球団を渡り歩くが、ミネソタ・ツインズ在籍時の1979年に、36歳で90試合登板、リーグ最多の32セーブを挙げ復活を果たす。なお、これはア・リーグの最多登板記録である。
1981年シーズン途中にニューヨーク・メッツに移籍し、シーズン後に現役引退。
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人物
プロ野球選手としてプレーする傍ら、1978年にミシガン州立大学で運動生理学の博士号を取得した[4]。博士号取得前の1974年には、当時ドジャースでチームメイトであったトミー・ジョンが後にトミー・ジョン手術と呼ばれるようになる手術を受けた際のリハビリに、自身の知見を生かしたアドバイスをしている[5]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高
タイトル
表彰・記録
- サイ・ヤング賞:1回(1974年)
- MLBオールスターゲーム出場:1回(1974年) ※1975年も選出されているが、登板機会は無し。
脚注
外部リンク
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