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マキバオーシリーズの世界における年表

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マキバオーシリーズの世界における年表(マキバオーシリーズのせかいにおけるねんぴょう)では、つの丸競馬漫画みどりのマキバオー』(『たいようのマキバオー』移行の作品を軸とする)における架空の出来事を年表形式に掲載する。

1990年代

  • 1991年
  • 1993年
    • 3月11日、ベアナックル 誕生。
    • 4月1日、アマゴワクチン 誕生。
    • 4月4日、ミドリマキバオー 誕生。
    • ミドリマキバオーが母・ミドリコとの再会するまで森のチュウ兵衛と出会う。[1]
  • 1994年
    • マキバコ 誕生。
    • ミドリマキバオーがカスケードと初対決するが完敗。[2]
  • 1995年
  • 1996年
    • ミドリマキバオーがモンゴルへ旅立ち、特訓を行う。[4]
    • 4月14日、チュウ兵衛が中山競馬場皐月賞で落馬事故に遭う。[5]
    • 6月2日、ミドリマキバオーの相棒 チュウ兵衛が日本ダービーの表彰式の後で死去。[6]
    • 7月、ミドリマキバオーがダービーの同着直後でチュウ兵衛を失い、トラウマで走れなくなる。[7]
    • 12月22日、ミドリマキバオーが有馬記念でカスケードを倒しついに日本一になる。[8]
  • 1997年
    • 1月、カスケードがマリー病で引退し、種牡馬となる。[8]
    • マキバコが未勝利戦で初勝利を飾る。[9]
    • ドバイワールドカップの第5Rでミドリマキバオーが両脚骨折し、安楽死目前してしまうが、手術で一命を取り留めた。[10]
    • 12月21日、アマゴワクチンが有馬記念で前年とは違い3着。[10]
  • 1998年
  • 1999年
    • 7月11日、アマゴワクチンが宝塚記念の10着の後で調教中に屈腱炎で判明し引退。[10]
    • 第一回ジャパンチャンピオンシップでブリッツとの兄弟対決。対決後、殿下の誘いで再びドバイを渡ってミドリマキバオーは現役続行。[10][11]
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2000年代

  • 2001年
    • 4月20日、ゴールデンバット 誕生。
  • 2002年
    • 3月7日、ココナッツクランチ 誕生。
  • 2003年
  • 2004年
    • 3月31日、ヒノデマキバオー、フィールオーライ 誕生。
    • ヒノデマキバオーの母・マキバコが宮蔦一家に誘拐された思いを受けてヒノデマキバオーは若ぞうからミドリマキバオー同様お守りをもらい、宮蔦一家へ向かう。[13]
  • 2005年
    • 4月1日、ファムファタール 誕生。
  • 2006年
    • ヒノデマキバオーが脚の不安で高知の福留厩舎に転厩。[14]
  • 2007年
    • 2月12日、ダイナスティ 誕生。
    • フィールオーライが2冠馬となる。[15]
    • ヒノデマキバオーがキングスファームでフィールオーライとの出会う。[16]
    • ヒノデマキバオーが九州遠征する。[17]
    • 荒炎賞の敗戦後、ヒノデマキバオーがギガモッコスの指示により阿蘇ギガント牧場で特訓を行う。[18]
    • 12月29日、ヒノデマキバオーが東京大賞典大井競馬場を初参戦。[19]
  • 2008年
  • 2009年
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2010年代

関連項目

脚注

参考文献

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