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メジロマスキット

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メジロマスキット[1]日本競走馬繁殖牝馬1989年中山大障害(秋)に優勝し、1989年度のJRA賞最優秀障害馬に選出された。

概要 メジロマスキット, 欧字表記 ...
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競走馬時代

1987年11月に東京競馬場初出走を行い2戦目の芝マイル競走で初勝利を上げたが、その後は勝利することなく1988年11月より障害競走に転向した。障害3戦目で未勝利を勝ち、年が明けて1989年、昇級後2戦目で400万条件にも勝利してオープン入りした。そして中山競馬場の障害オープンをエイシンフェアリーの2着となった後に中山大障害(春)に向かった。中山大障害ではそのエイシンフェアリーが1.3倍の断然の1番人気となったが、エイシンフェアリーは1周目の1、2コーナー中間の障害で早々に転倒。メジロマスキットは大生垣でややバランスを崩しながらも後方から追い上げたが、その大生垣で先頭に立った11歳馬(現10歳馬)のキョウエイウオリアに押し切られて2馬身差の2着に敗れた。

秋シーズンは東京障害特別(秋)から始動。59kgのハンデで2番人気に推され、ゴール手前で軽量55kgのライダーズハイを捕らえて重賞初勝利を挙げた。障害オープン5着後の中山大障害(秋)では1.8倍の1番人気となり、レースでは後方から徐々に追い上げ、直線半ばで先に抜け出したパンフレットをかわして優勝した。牝馬の優勝は1985年春のブルーフラール以来であった。これにより同年の最優秀障害馬に選出されたが、牝馬の最優秀障害馬選出は1972年ムーテイイチ以来であった[2]

1990年は連覇を狙って中山大障害(春)に出走したが大竹柵で他2頭とともに競走中止。その後オープン競走で2勝を挙げ。1991年1月の障害オープンで4着となったのを最後に現役を引退した。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[3]、JBISサーチ[4]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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繁殖牝馬時代

引退後はメジロ牧場繁殖牝馬となり、初仔で東京障害特別2着、中山大障害3着のメジロシンドウ、4番仔で福島ジャンプステークス勝ちのメジロシュナイダーなどを出したものの重賞勝ち馬は出さず、また牝馬もメジロシュナイダーを含めて6頭産んだが後継の繁殖牝馬は2002年産のメジロカール1頭のみ、そのメジロカールも牝馬は産まず血脈としては途絶えている。

産駒一覧

さらに見る 生年, 馬名 ...

血統表

メジロマスキット血統(血統表の出典)[§ 1]
父系リファール系
[§ 2]

*モガミ
Mogami
1976 青鹿毛
父の父
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
父の母
*ノーラック
No Luck
1968 黒鹿毛
Lucky Debonair Vertex
Fresh as Fresh
No Teasing Palestinian
No Fidding

メジロアマクサ
1974 栗毛
*ネヴァービート
Never Beat
1960 栃栗毛
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Bride Elect Big Game
Netherton Maid
母の母
メジロマジョルカ
1963 栃栗毛
Doutelle Prince Chevalier
Above Board
*レディアリス Alycidon
Pontoon
母系(F-No.) レディアリス系(FN:3-f) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearco 5×5・5=9.38% [§ 4]
出典
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脚注

外部リンク

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